「現象化しました」「現象化していません」と一喜一憂する前に、現象化とは何を指すのか、知らねばなりません。
A・在りのままの現実
B・在りのままの現実+妄想
エゴが現象として認識しているのはBです。
在りのままの現実はAとBの両方に含まれているので、「エゴは妄想を現実と認識している」と言って良いでしょう。
こうなると、「妄想した通りになる事が現象化であり、妄想外の現象は現象化として認めない」…と言うスタンスになります。
「一向に現象化する気配が無い」と悩んでいる場合、それは在りのままの現実が妄想の外に在る事を意味します。
「在りのままを見なさい」とか、「もう現象化していますよ」と言われても、何を言っているのか全く解りません。
眠って夢を見ている中で、「起きて現実を見なさい」と言われても、夢の中では夢しか見れないのと同じく、妄想の中に在っては「現象化されている」と言われても、妄想しか見えないのです。
現象化とはAです。
妄想を通さず、在りのままの現実を見る事が現象化です。
妄想とは反対の現実が展開されている時、それを否定したくなりますが、この態度は現象化している事を否定する事となります。
この場合、否定する対象は「現象化している全てのもの」です。
人、物、環境の全てに対して否定的な意識を持つと、それらが自分を否定しているかの様に感じます。
自分を否定している(と感じる)対象に対し、好意的な態度を見せるのは困難な事でしょう。
それが人であるならまず良い人間関係は望めません。
人が理想と呼ぶのはその実妄想であり、理想と現実のギャップに悩む事は、現象化の否定を意味していますから、結果的に理想も現象化に至らないでしょう。
否定から肯定は生じません。
人はどう言う訳か「自らが否定する事によって対象に肯定させよう」と考えてしまいますが、それは不可能です。
ダメ出しで子供を成長させたり、部下の能力を引き出せるのでしょうか?
自らが生み出した現象にダメ出ししておきながら、現象には「肯定で返せ」で通じるでしょうか?
それは仏頂面で鏡の前に立って、鏡に写った自分に「笑顔で返せ」と言っているのと同じく、仕組みとして絶対に無理なのです。