「女性とは何か?」、「性欲とは何か?」に続いて、今度は「男性とは何か?」について考え(意識からの回答を求め)なくてはならなくなりました。
稲田は男性ですが、言われてみれば男性とは何なのかを知りません。
「男性としての弱さを恥じ…」と言っておきながら、恥じるべきものを知らない訳です。
一体稲田は何を恥じているのでしょう。
女性と性欲と男性は三位一体と言えます。
どれか一辺が欠けると、他の二辺も三角形として存在出来ません。
女性と性欲は非常に強く感じ、意識もしますが、男性はその2つに比べて圧倒的に希薄です。
稲田は「自分は男性であると言う自覚がほとんど無いのではないか」と思います。
「思います」ではなくて、実際にその自覚が皆無と言って良い程ありません。
稲田は本当は△を形成したいのに、何らかの理由で∠の状態になってしまっているのでしょうか。
このままでは、男性が担うであろう夫や彼氏と言った役割を、稲田は受け持つ事が出来ないでしょう。
稲田はおそらく、男性と言うものを知らないんじゃないでしょうか。
男性でありながら、男性が未知であると言う妙な話になってしまいますが、今は妙だとか変だとか、そんなエゴの判断は置いといて、「知らないと言う事実」は認めなくてはならないでしょう。
稲田が嫌うタイプの男性、ここにヒントがあるかも知れません。
今はどんな男性が嫌いかも思い付きませんが、仮に思い付いたとして、その男性の“何が”嫌なのか…を知る事が鍵となりそうです。
…書いていて1つ思い付きましたが、「口の軽い男性」は好ましいタイプではありません。
「軽薄だ」とか、「お喋りだ」とか、「口が上手い」とか、そんな感じの男性です。
それの“何が”嫌なのか、自分の意識の中からの回答を求める必要があるでしょう。
稲田は「喋るのも億劫だ」と言うタイプですが、ひょっとしたら「喋る事が大好きな可能性が無きにしも有らず」だからです。
お喋りな自分など全く想像出来ないし、したくも無いのですが、もう「嫌だから」と言う理由だけで避けるのはやめなければなりません。
避けるにしても、嫌なものの正体を知ってからでも遅くはないでしょう。
そして、「何故喋るのが億劫なのか?」…も同時にその正体を見極める事も必要となりそうです。
億劫だと感じる事はそれが不快であって、不快であると言う事は、そこに求める“何か”が在るはずだからです。