意識の向き=事実 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

貴方の目の前にコップが在るならば、「私の目の前にコップが在る」…で完結します。

それ以上でもそれ以下でも無く、この他に付け足すものも無ければ差し引くものもありません。

貴方以外の全ての人がそれを否定したとしても、また、その否定の声に貴方が折れる形で「コップは在りません。すみませんでした」と謝罪しても、その事実は揺らぎません。

事実はシンプルですが、外部からの何者によっても揺るぎません。

意識の向きは貴方にとって揺るぎない事実です。

例え貴方のエゴでさえも、その事実に影響を与える事は出来ません。

事実には正誤も真偽も、根拠も主張も、自信もプライドも必要ありません。

真理も真実もありません。

事実は事実…これで完結し、完全であり、全てが足り、何処にも不足は無く、完璧です。

「潜在意識を信じるならば…」とは、「意識の向きを知るならば」…と言う事です。

意識の向きを知る事は、潜在意識が事実と成り、潜在意識が願望を実現させると言うならば、必ずやその願望は事実としてそこに顕れる(既に顕れている事に気付く)でしょう。

意識の向きを知った貴方は何も欲しません。

今必要な物は当たり前の様に手にしますが、手にした物に執着したり、まだ手にしていない物に意識を奪われる事もありません。

誰の目も気にしません。

好きで好きで堪らない異性が、どのような状況に在り、どのような行動を取り、誰と付き合おうとも一切気になりません。

いくらお金を持とうが(持つまいが)、節約や支払いに対して気を使いません。

今居る地位や今持つ肩書きも、もはや小学生の学級委員長と同レベルです。

貴方の事実(意識の向き)を見なさい。

それが決して揺るがない事と、願望は既に顕れている事を、貴方は言葉に依らずに解りますから。