「引き寄せの法則を知ったは良いが、一向に現象化しない」と言う話を耳にします。
先日と被りますが、この『引き寄せの法則』にも各個人で異なる観念が投影されます。
稲田が『引き寄せの法則』に投影しているのは、「認識する事で在る」と言う観念です。
稲田の観念で言うならば、「何かを認識した時点で即現象化(引き寄せ)が起きている」と言う解釈になります。
「では、貴方は石ころを認識した時、それは引き寄せの法則で引き寄せたと解釈するんですか?」と問われたら、「はい、その通りです」と答えます。
この単純過ぎる解釈は面白くもなんともない事かと思います。
しかし、紛れもなくその石ころの存在は認識が起きた(引き寄せた)結果であり、そこには何の不足もありません。
「足るを知る」と言う表現もありますが、それは「大満足!」と言うポジティブな感じではなくて、「当たり前」と言うフラットな感じです。
こうなると、引き寄せの法則も愛と同様に当たり前な事です。
当たり前ゆえ、希望も無ければ絶望も無く、ポジティブも無ければネガティブもありません。
ただ、当たり前じゃない時に、ふとした切っ掛けでその当たり前に戻った瞬間は、淡いポジティブを感じる事はあります(先日と全く同じ事を言っています)。
引き寄せの法則に希望を抱く時、それは自身が大なり小なり絶望を感じていると言う事です。
ですが、絶望と希望は本質的に同じである為に、絶望を認識した時点で希望が現象化されていると同じ事です。
後はその絶望の顔をした希望を受け容れるだけですが、ネガティブと認識するものは受け容れに時間が掛かる事がしばしばです。
それが現象界におけるタイムラグとなって現れるのではないでしょうか?
こうなると、タイムラグは自身が生み出しているとも言えます。
タイムラグが無く次々に望む事を現象化させるコツは、「如何にネガティブを受け容れるか?」にあると考えますが、何処かにそのタイムラグを敢えて楽しんでいる自分も居るんじゃないでしょうか。