エゴの使用法 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

今存在する現象界は分離の世界であり、分離の世界に存在するのもは全て相反する二極によって成り立ちます。

そして、その相反する二極は本質的に全く同じものであります。

【引き寄せの法則】【ルビンの壺】【都合の良い面と都合の悪い面】の3つの言葉を用いて理屈で表現します。

【引き寄せの法則】は【ルビンの壺(願望)】を実現させます。

【ルビンの壺(願望)】は【都合の良い面(壺)と都合の悪い面(顔)】が一体となっています。

よって「都合の良い面は受け容れるが、都合の悪い面は受け容れない」となると、都合の良い面も受け取る事が出来ません。

つまり、願望が実現していると認識出来ません。

願望を持って悩んだり苦しんだりするのは、「都合の良い面が現象化しないから」ではありません。

「都合の悪い面を受け容れようとしないから」です。

その抵抗がネガティブな感覚の正体です。

仮に、都合の悪い面を受け容れないまま都合の良い面が現象化しても、悩みや不安は続きます。

現象化したはずなのに心から喜べなかったり、現象化したが故にそれを失う事を恐れるようになります。

しかし、都合の悪い面を受け容れると、都合の良い面が現象化されなかったとしても、心は平穏で晴れやかな状態がもたらされます。

後は自然の成り行きに任せれば、落ち着くべきところに落ち着くでしょう。

「現象化に向けて行動を起こしたい」と言う強い衝動があるならそれに従えばよろしく、特に動きたくないならそれに従えばよろしいのです。

良いも悪いも両方受け容れた時、初めて願望が実現したと感じる事が出来ます。

壺だけしかなければルビンの壺にはなり得ない様に、良い面だけを受け容れても願望の実現にはなり得ません。

エゴは、この悪い面を見付ける事に非常に長けています。

反面、良い面を見付ける事が致命的に下手であります。

エゴは『悪い面探知機』として用いるべきであり、『良い面探知機』として使うのは明らかな間違いです。

「悪い面を受け容れる事=良い面を受け取る事」ならば、後は悪い面をエゴに探させて、それを片っ端から受け容れて行くだけです。

エゴは頼みもしないのに、勝手に悪い面を探知(しかも非常に細かい部分まで)してくれるでしょうから、此方からは特に何もする必要はありません。

何と楽な話でしょうか?

エゴは願望実現の道具であって、主人ではありません。

また、エゴは悪い面を探知する道具であって、良い面を探知する道具ではありません。

この二つを踏まえれば、「ピンチはチャンス」を地で行く事になるでしょう。