自分の中で両想いに「なる」 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「自分の中の男性性と女性性を両想いにするにはどうすれば良いか?」…と言う事ですが、大前提として在るのは、「既にお互いは理想の異性性同士で在る」と言う事です。

貴方の男性性にとっては貴方の女性性が理想の異性で在り、貴方の女性性にとっては貴方の男性性が理想の異性で在ります。

本質の世界で両想いで在る以上、現象の世界でも理想の異性と両想いになって当たり前です。

しかし、どういう訳か「完全に好みのタイプと結ばれるのは難しい」と言う風潮がまかり通っております。

恋愛成就が誰もが羨む願望の代表格になったり、恋愛ビジネスが成立するのも、その風潮が在っての事でしょう。

難しいからこそ願望としての価値が在ると言う事ですが、それは「自分の中の異性性を結ばれないようにし続けたい」と言っているのと同じです。

本質の世界で「自分の中の異性性が結ばれてない状態」で、現象の世界で「理想の異性と結ばれたように見える状態」になる事は、エゴにとっては非常に刺激的で魅惑的な快感を伴うでしょう。

「当たり前では無い事を実現させた!」と言う達成感も感じると思います。

恋愛に依存してしまうタイプは、この快感の虜になってしまったものと思われます。

「恋愛中毒」と言う表現の通り、薬物やアルコールに依存している状態と変わりなく、「健全な状態で在る」とは言いにくいものがあります。

「恋愛を純粋に楽しむ事」と「恋愛に依存する事」では、前者の方が圧倒的(それこそ次元が違う程)に幸福感や満足感が上です。

「“依存”と言う粗悪な代用品」で我慢しているのではなく、「“純粋に楽しむ”と言う純正品」を手に入れた方が良いと思うのですが、如何でしょうか?

『なりたい自分になる』と言う記事の例で言うなら、まず実践編②の立場を前提に据えます。

「自分の異性性同士は初めから両想いで在る」と言う意識の土台をまず築きます。

「片方の異性性がダメなんだ」と言う否定の意識から入らない事です。

同性性を否定すれば同性としての自信や魅力を失い、異性性を否定すれば異性を敵とみなしてしまいます。

「ダメな俺と付き合え」とか、「貴方は嫌いだけど私と付き合って」など、付き合いたい相手への告白として不適切です。

「既にどちらの性もそのままが良い」と言う肯定の意識から入ります。

…で、貴方が男性ならば「女性から見た自分」を、貴方が女性ならば「男性から見た自分」をそれぞれイメージします。

違和感なく、「素敵!魅力的!」と言う『感覚』が在るのならそれで結構です。

その場合の貴方は「俺はモテる」とか、「私は異性に不自由しない」と言う『感覚』が在ると思うので、貴方は現象の世界でも異性や恋愛に対して抵抗がないはずです。

ここで注意して頂きたいのは、「素敵!魅力的!」は『感覚』であって、思考ではありません。

「素敵!魅力的!」と言う『感覚』が無い場合、それを無視して「素敵!魅力的!」と思考の声でその『感覚』を塞がない事です。

この『感覚』に対して素直になる事は、理想の異性に対して素直な自分を表現する事と等しいので、『感覚』に対して素直になる事が極めて肝要な点です。

異性性から見た自分に対して否定的な『感覚』が在った場合、ひたすらその『感覚』に意識を向けてください。

「男として自信が無い」とか、「女として魅力が無い」と言った思考の声が出て来ると思いますが、思考に意識を奪われる事無く、『感覚』に意識を向け続けます。

『感覚』に意識を向け続ける事は、異性性に対する素直な本音を告白し続けるのと同時に、異性性が同性性を理解し続けようとしている事になります。

現象の世界で言うなれば、貴方は不器用ながらも好きな相手に対して心を開いて素直な気持ちでアタックし、好きな相手はそんな貴方の気持ちを何とか理解しようと努めている状態と言えましょう。

否定的な思考に意識を向ける事は、貴方は想う相手に対して自分が如何にダメかをアピールしている事になります。

同情心を誘って何とか振り向かせたいと言う思惑があっても、自分自身がそう思っている事を知っているわけですから、自分の異性性にも筒抜けであります。

そんな貴方の同性性を知る貴方の異性性は、貴方の同性性には決して振り向きません。

つまり、現象の世界でも好きな相手は貴方に振り向きません。

恋愛は自分の『気持ち』に素直なのが一番だと言う事はご理解、ご同意頂けるものと思いますが、この『気持ち』が指すのは『思考(エゴ・顕在意識)』ではありません。

何度も言います通り『感覚(真我・潜在意識)』です。