健康万歳 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ここ数日風邪で寝込んでいたのですが、普段当たり前過ぎて気付かない健康の有り難さを感じる次第です。

朝のTVの天気予報か何かで、星座別に『恋愛運』『金運』『健康運』の三つを○×△で評価しているのを御覧になった事があるかと思います。

この稲田はその三つのうち、『健康運』に非常に偏っており、他の二つは全く縁が無い事に深い憤りを覚えていた時期があります。

健康で在ると言う充足の中に在りながら、「金は無い!女は無い!」と不足を見ていたのです。

挙げ句の果てには「多少病気になってもいいから、その二つのうちどっちかの運を上げてくれ」等と考える始末です。

「健康は要らない!金か女を寄越せ!」と言えるのは、自身が健康だからこそ言えるのです。

仮に稲田が病弱で、異性にもお金にも恵まれていたなら、異性やお金を手放してでも健康を求めたに違いありません。

充足を無視して不足を見るのはエゴの典型的な特徴です。

そしてその不足に対して願望と言う属性を付けてしまうと、あれこれ悩んだり苦しんだりする事になります。

エゴの願望の本質とは不足です。

そして、手に入れても「もっともっと!」と際限がありません。

稲田は「健康を害してでもお金や異性に恵まれたい」と思っていた時期があったと書きましたが、おそらくこれが実現していたなら、健康を害しながらより多くのお金とより多くの異性を求め続けていた事でしょう。

健康を失った上に、お金や異性に対する不足も本質的に満たされないのでは、健康の失い損であります。

エゴの不足に願望や夢と言う希望に満ちたレッテルを張り、脇目も振らずそれを追い掛けた結果、最も大切だったものを失う…と言う事にならない為には、「自分にとって本当に必要なものは何か?」つまり、「自分はどう在りたいのか?」を知る必要があります。

そして、既に「自分はどう在りたいのか?」の答えは出ております。

周囲の環境、思考、心の反応など全てがヒントになっていますが、その前に「足るを知る事」です。

先程の稲田であれば「健康で在る」が「足る」です。

「不足で在る」という意識と、「充足で在る」という意識とでは、同じものを見ても全く違うものを見る事になります。