②の続きです。
稲田がAさんを好きで在る場合、稲田が願望として実現を求め得る項目は以下の四つです。
①稲田はAさんを好きで在る
②稲田はAさんから「稲田さんが好きor嫌い」と言う発言を聞く
③Aさんに「稲田を好きで在る」と思わせる
④Aさんに「稲田が自分を間違いなく好きで在る」と理解させる
この中で稲田の視点において①と②は実像、③と④は虚像です。
個人の経験から、エゴ(思考)という虚像の世界に埋没していると、優先度は②=③=④>>>①と言った感じで、自身の意識の中で虚像が実像を上回る形になります。
この状態で引き寄せの法則なり、願望実現メソッドなりを用いた場合、虚像に対してアプローチする事になります。
「Aさんに自分を好きだと言ってもらう」、「Aさんに好きだと思われたい」、「Aさんに好きだと言う事を知ってもらいたい」…これらを願望と認識して、その目的に沿った行動や思考を繰り返すでしょう。
しかし、虚像へアプローチすれば、返って来るのは虚像のみです。
その結果「好かれたいと思う現実」とか、「好きで在る事を証明したい現実」が延々と続く事でしょう。
悩みに悩み、努力に努力を重ねても、得られる実像は「相手からの音声(あるいは態度による視覚効果)」のみです。
『相手からの好意を得るゲーム』と言う虚像に埋没した稲田の頭の中では、「Aさんが稲田に対する好感度」と言うパラメータが脳内設定されます。
好きで在る確率:50%
嫌いで在る確率:25%
どっちでもない:25%
こんな具合です。
こうなりますと、たまに向けられる笑顔や、メールが来る来ないが稲田の幸不幸を左右します。
「今日は笑顔を向けてくれた!」と喜んだ場合、おそらく以下のようにパラメータが改編されるでしょう。
好きで在る確率:60%
嫌いで在る確率:15%
どっちでもない:25%
次に「送ったメールが返って来ない」と落ち込めば、
好きで在る確率:40%
嫌いで在る確率:30%
どっちでもない:30%
…に変わるかも知れません。
以上は変な例えですが、虚像の世界に埋没すれば虚像に振り回されるのです。
好きで在る確率も、嫌いで在る確率も、どっちでもない確率も、全て虚像であって存在しません。
故に「確率頼みで数打てば当たる」という考え方も虚像です。
的自体が無いのですから、いくら投げても当たりません。
的は実像にしか在りません。
そして、その実像の的は見る事さえ出来るなら必ず当たります。
見た瞬間に当たり、間違いなくこれは当たりだと自分で解ります(目からウロコという表現に近いと思います)。
必中ですが、虚像に捉われている限り決して見る事が出来ません。
近くに在り過ぎて気付かないが、恋愛において真に欲する実像とは、①の「好きで在る」と言う想いです。
これは今、ここで、間違いなく在るものとして、受け取る事が可能です。
置き去りにしていた「好きで在る」という自身の純粋な想いこそ、最も欲するものであり、唯一確実に得る事が出来るものだったのです。
実像ではなく虚像を追う事は、既に持ってるダイヤモンドを置き去りにして、ビー玉を追い掛けるようなものと言えるでしょう。