単なる“わたし”の思い込み | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「引き寄せの法則なんてあるわけない」という人は、「引き寄せの法則は本当に在る」と言っている人を見ると「そりゃ“あんた”の思い込みだ」と言うかも知れません。

そして、それは事実です。

スピリチュアルに限らず、どんな科学的な事であっても全部思い込みです。

「私は人間だ!」も思い込みですし、「本当の自分は阿頼耶識だ!」も思い込みです。

ですが、その思い込みを極限まで極めると、その思い込みは確固たる事実になります。

「引き寄せの法則なんてあるわけない」と極限まで思い込んだ人には、引き寄せの法則は働きません。

書籍やブログで「私はあれを引き寄せました」とか、「僕はこれを引き寄せました」と言う方々が居られますが、そういった方々は「引き寄せの法則は本当に在る」という思い込みを極めているから、引き寄せの法則が実際に現実として作用しているのです。

ここでいう思い込みは、思考や心という客体視出来る次元ではなく、主体としての“あなた”の次元で思い込むと言う事です。

「思い込みを極める」と言うのをスピリチュアル的に表現すれば、「阿頼耶識に薫習されている状態」と言えます。

極端な例を挙げます。

「金は汗水流して働いて得るものだ!」という思い込みを極めると、思考も行動も意識もその通りにしか働きません。

あらゆる思考、あらゆる行動、あらゆる意識が「お金を得る為に汗水流して働く」方向に向きます。

この場合、頑張って逆の方向、つまり「遊んでいてもお金を得る」方向にはどうやっても向けません。

強引に向こうとすれば「そんな夢物語があるわけがない!」という強烈な声に、「お金を得る為に汗水流して働く」というその人なりの現実に引き戻されるはずです。

「金は別に働かなくても、遊んでれば入ってくるよ」という思い込みを極めると、思考も行動も意識もその通りに働くでしょう。

今度は逆にあらゆる思考、あらゆる行動、あらゆる意識が「遊んでいてもお金を得る」方向に向きます。

「お金を得る為に何かをする」という感覚はなく、そんな気は無くてもどういうわけかやる事成す事がお金に結び付くような状態になるでしょう。

前者の思い込みを極めた状態であれば、「働きもせずにどうやって収入を得ればいいんだ?」と、後者の言い分に納得出来ないでしょう。

後者の思い込みを極めた状態であれば、「なんで金の為にやりたくもない事をしてるんだ?」と、前者の言い分は理解に苦しむでしょう。

この通り思い込み1つで、両者の間には別次元と言って差し支えない乖離が生まれます。

しかし、人は好きな思い込みを選べるのです。

どんな風に思い込みたいでしょう。

「思い込んだくらいで本当にそうなるわけがない」という思い込みを極めるも、「思い込めば本当にそうなるのだ」という思い込みを極めるも、“あなた”が選んでいいのです。

ここで再度念を押しますが、これは「あなたの思考」や「あなたの心」に向けて言ってるものではありません。

“あなた”に言っているのです。