引き寄せの法則を使って願望実現しよう! | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

よくあるキャッチーなコピーですが、僕的に表現し直すとこうなります。

『引き寄せの法則に使われて願望を実現しよう!』

引き寄せの法則を使って…という表現は、『使う側の【わたし】が主』で『使われる側の法則が従』であるようなニュアンスですが、引き寄せの法則に使われて…だと、『法則が主』で『【わたし】が従』になり、立場が逆転してしまいますが、実はこの2つの表現は矛盾しません。

前者は『【わたし】には自由意思がある』という立場から、後者は『【わたし】には自由意思などない』という立場から表現しただけであって、結局は言っている事は同じなのです。

…同じなのですが、前者の『【わたし】には自由意思がある』を採用している場合、自由意思=思考と結び付けてしまうと、まるで意味が通らなくなります。

例えば、『自由意思があって、何でも思い通りになるって本に書いているのに何故思った通りにならないんだ。あれは嘘書いてんのか』…と、こうなるわけです。

思考と自由意思は違います。

じゃあ自由意思って何だとなりますが、僕なりに他の言葉に置き換えるとすれば『意図』になるでしょうか。

例えばですが、僕がコーラを飲んでいる姿をあなたが見たとします。

で、あなたは僕に質問します。

あなた:何でウーロン茶じゃなくてコーラを飲んだの?

僕は答えます。

僕:コーラ飲みたいな~と思ったからですよ。

ここで僕はコーラを飲んだ理由を説明する為に『コーラを飲みたいと思った』と表現しましたが、実際にはこの時、『コーラを飲みたい』だなんて一瞬たりとも思考していないはずなのです。

ただ『コーラを飲もうという意図が起こった』だけで、思考で『コーラを飲みたいと思ったから飲んだ』わけではないのです。

意図が起こった事を言葉で説明するには『~したいと思った』と表現する他ないですが、これは思考で『~したいと思った』のとは全く別次元のお話です。

言葉で表すと同じ『~したいと思った』になってしまうので、これを思考に基づいた説明と受け取ってしまうと、『~したいと思った事は叶うのか!ヒャッハー』と勘違いする事になります。

自由意思を思考ではなく意図と解釈すれば、『自由意思のもと、引き寄せの法則を使う事が出来る』という人が居ても不思議でもなんでもありません。

しかしです。

その自由意思という名の意図は、本当に【わたし】が自由に使っているものなんでしょうか?