魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

例えば、私が「結婚したい」と思ったとします。

 

普通の感覚だと外に向かって相手を探しに行きますね。

 

そうすると、「マッチングアプリを利用して~」とか、「結婚相談所に登録して~」とかになると思います。

 

…じゃないのですね。

 

本当は「恋愛したい」なのですよ。

 

そして、それは「私の中に愛を発見したい」という事であって、やがて「魂の結婚とは愛だ」という事を感じて理解するに至ります。

 

愛を発見する事が結婚する意味なので、愛を発見してしまえば結婚しなくても別に良いわけです。

 

「結婚したいけど独身で居たい」という一見矛盾した願望が有ったとしても、これで叶える事が出来るんですね。

 

 

 

私は今、魂の仕事を探しています。

 

その魂の仕事を探す為の知識が全く無いので、上で言うところの「マッチングアプリで~」とか、「結婚相談所で~」とかと全く同じ事をしています。

 

「求人サイトで~」とか、「ハローワークで~」とかやっているわけですね。

 

「既に魂の仕事を見付ける流れに入っていて、その一環でやっているのだろうな」とは思っています。

 

私にはよく分からないのですが、きっと必要な過程なのでしょう。

 

 

 

魂の仕事が魂の結婚と同じだと仮定するなら、私の中の何かを発見する為のものだと思うのですね。

 

「魂の仕事をしている時、私は何を感じているだろうか?」という事です。

 

その感じているものが、魂の仕事それ自体になると思います。

 

魂レベルの某~というのは、自分自身の本質に直に触れるようなもので、その時の様は一言で言うなら「尋常ではない」のです。

 

なので、私が魂の仕事を発見した時も「尋常ではない何か」を味わう(感じる)と思います。

 

「ああ、これだ」とか、「もう、これ以外の事を仕事にする意味は無い」とか、そういう感想を抱くと思います。

 

「自分自身にとってこの上無く最高のもの」を意味するわけですね。

 

「仕事で言うならそれは何だろうな?」というものを見付けるのです。

目覚め直後に浮かぶ言葉には真実味が有ります。

 

それこそ、万人に「あなたは“それ”だ」と評価されるよりも、その目覚め直後に浮かぶ「“それ”」の方が「私自身が“それ”なのだ」と信ずるに値します。

 

その、今朝浮かんだ言葉が“エリート”なわけです。

 

「“エリート”が私の中に在る」という状態ですね。

 

 

 

ちょっと前に「お金を稼げる人は評価に値する」と述べたのですが、「お金を稼げる人=“エリート”なのか?」と問われると、今は何とも言えません。

 

そもそも、私は“エリート”の意味が分かっていません。

 

もちろん言葉の意味を調べましたが、私の中の“エリート”と調べた内容が感覚的に一致しないのです。

 

この“エリート”を観て、己の理解を得る必要が有ります。

 

 

 

意味が分かっていない今の時点でも、「私は“エリート”だ」と言って嘘にはなりません。

 

なので、“エリート”が持つ意味にも抵抗は無く受け入れる事が出来るでしょう。

 

「自分が“エリート”であるはずがない」という声は何処にも在りません。

 

自身の中に感じてしまっているものは、それが何であっても認めざるを得ないのが、私のスピリチュアルなのです。

 

“エリート”である事を認めつつ、同時に意味を知らない事も認め、知らない事を知ろうとする姿勢が今の私には必要です。

 

 

 

こうして記事を書きながらも確認しているのですが、「やっぱりこれは“エリート”だよな」と思います。

 

私の中で感じられるものと“エリート”という言葉が合うのですね。

 

後は意味の深堀ですね。

 

これと魂の仕事と何か関係有るのでしょうか?

 

無くてもこの“エリート”を飛ばして先に進むわけには行きそうも有りませんが。

池袋ポケモンセンターの事件はご存知かと思います。

 

最初は「女性が男性に刺され、その後男性は自らを刺して両者死亡」としか言われていなかったのですが、「恋愛関係かなぁ…」と思っていたらその通りらしいですね。

 

本当なら男性も女性も死ぬ必要は有りませんでした。

 

特に男性は女性を追う必要も、復縁を求める必要も有りませんでした。

 

もっと端的に言うなら、男性にとって女性は必要ではなくなっていたはずです。

 

何故なら、女性に求めていたものを既に受け取っていたからです。

 

 

 

「男性にとって“その女性”は何処に居たか?」と言うと、「男性の中に居た」のですね。

 

池袋ポケモンセンター(目に見える世界の中)じゃないのですよ。

 

“その女性”が男性の中に居た時点で、男性は女性に求めたものを与えられていたのです。

 

後は投影先である女性に向かうのではなくて、内に居る“その女性”に向かえば良かったのです。

 

私と男性には何の接点も無く、起こった後に何を言ってもどうにもなりませんが、今似たような境遇に居る人でこの記事を読んでいたら、少しは役に立つ事を書いていると思います。

「お金は感謝」という言葉を聞いて、私はそのまま「お金=感謝」と捉えていたのですが、「仕事=感謝」と捉える方が良い気がしています。

 

お金そのものに感謝するのではなくて、その仕事がやれている事に感謝をするわけですね。

 

極めて限定な例外を除けば、仕事をすればお金が入って来るのは流れとしては当然なので、感謝でお金を生み出す事が可能になります。

 

そうなると、「やれる事自体に感謝が湧いて来る」という、非常に高い次元の仕事を見付けなくてはなりません。

 

私が今やっている職探しとはそういうものです。

 

 

 

お金の源泉に感謝出来るなら、生み出されるお金の属性も感謝になります。

 

しかし、以前の私のように内に“働きたくない”を抱えたまま、お金の為だけにやりたくもない仕事をしたら、そのお金の属性はどうなるでしょう。

 

恨みや妬みと言った、破滅的な属性を帯びると思います。

 

内なる世界を全く知らず、完全に物質世界に没入しているなら、「死ぬまで耐えるだけのクソゲー」となりつつも、何とか耐える事が出来るかも知れませんが、内なる世界に住む私のような存在にはとても無理な話です。

 

「そんな仕事(お金)なら要らんわ」となるわけですね。

 

 

 

私が求める魂の仕事というのは、嘘偽り無く「この仕事には感謝しか在りません」と言えるものだと思います。

 

それは口だけのものではなく、私の表情、行動、雰囲気もそうなっているでしょう。

 

そういう姿を心ないし魂で「この人は本当にそうなのだ」と感じて、喜ばない人って絶対居ないと思います。

 

そういう仕事が有って、それが出来ると分かっていて、実際に目の前に有ったら、その仕事をしない理由なんて何処にも有りません。

 

 

魂レベルで求める仕事が有って、それに就く事になったならば、私は絶対に満足すると思います。

 

魂レベルのものに共通するのは、「唯一無二かつこの上が無く永遠に」という事です。

 

女性なら「その人以外は誰も要らない」となりますし、場所なら「ここ以外の何処にも行きたくない」となります。

 

仕事だったら「この仕事以外はしたくない」というような感じになると思うのですね。

 

よくよく見ると、ここにもちゃんと“働きたくない”も含まれているのですね。

 

「この上無い仕事を得ているので、他の仕事はしたくない」という意味での、極めて高水準で前向きな“働きたくない”です。

 

 

 

そのような職なら満足出来るようなお金も付いて来ると思いますし、仮にお金がそんなに無くても問題にならないと思います。

 

「お金が無くても問題無い」となれば、本質的には真に望んだお金を得ているも同然です。

 

「“お金が欲しい”も“働きたくない”もこの上無い水準で実現する」となれば、何も言う事などありません。

 

本当に素晴らしくて幸せな事だと思います。

 

もうそこには称賛しかありません。

 

 

 

そんな職に早く出会いたいものですね。

 

出会ったらその場で直ちに始めるでしょう。

 

 

 

 

 

私の人生において、魂レベルのものが2つ有ります。

 

今住んでいる刈谷市と、もう何年も会っていない女性です。

 

その2つだけ、他とは明らかに異なる性質を有します。

 

替えが利かないのですね。

 

もしかすると、お金を得る手段にも同じようなもの、つまり魂レベルの何かが必要になるのかも知れません。

 

 

 

上に挙げた2つは「間違い無く魂レベルで響いたもの」と言えます。

 

初めて刈谷市に来た時は「前世はここに居た」くらいに感じましたし、女性に関しては「ツインレイかも知れない」と感じました。

 

前世もツインレイも魂の次元の概念ですね。

 

「本当に前世やツインレイが実在するのか?」という事は私も分からないのですが、「それくらいの概念を用いないと表現出来ないくらい、凄まじい何かを感じた」という事は事実なのです。

 

 

 

お金を得る手段、有り体に言えば仕事もそうかも知れません。

 

もしそうだとしたら、その仕事をするのを苦に感じる事は無いでしょうね。

 

「永遠に続けたい」くらいに思っても不思議ではありません。

 

それに、お金って何処かスピリチュアルっぽいのですよね。

 

物質世界の代表格くらいに思う人も居るかも知れないのですが、私はスピリチュアルの要素が相当に強いと思っています。

 

何なら「スピリチュアルそのもの」と言い切っても良いのではないでしょうか?

 

「私がライトワーカーだったら…」と考えた事が有るのも、そのせいかも知れません。

 

 

 

最大の問題は、「どうやってそれらに出会うんですか?」という事です。

 

とてもではないのですが、狙って出来る事ではありません。

 

しかし、過去を振り返ってみると、「どうしようもなく追い詰められて、それ以外の選択が不可能になった時」という事は言えるかも知れません。

 

その時に選ばざるを得ない選択と言うのは、「過去(今まで)の自分なら絶対に選べない」と感じる事なのですね。

 

強制的にそうなって、極端に言うと「それを選ぶか、死を選ぶか」くらいにまでなってしまうのです。

 

「追い詰められたらお金が出て来るんじゃないか?」と考えて実践したのも、そういう経験が何度か有ったからなのです。

 

 

 

私はその魂の仕事に出会った事が有りませんし、会えるかどうかも今は何とも言えません。

 

まあ、“働きたくない”が先に在ったので出会わないのは当然ですけど、今はもうそれは叶っていた事が分かって無くなっているはずなのですよね。

 

新しい願望設定が「魂の仕事に出会う事」になっているなら、「おそらく出会うんじゃないか?」と思います。

 

目に見える条件で、脳の目で見るのではなく、「魂が響くかどうか」という魂の条件で、魂の眼で観る事が出来るならあるいは…と思います。

やっぱり私はお金それ自体ではなくて、お金の中身を求めていると思います。

 

お金の中身とはお金の稼ぎ方だったり、それをする事によって感じるものです。

 

年収500万円程の、おそらく頑張れば出来ない事も無い求人が有り、何となく応募するだけしてみようかと思って応募したのですが、私は直ぐにキャンセルしたのですね。

 

「お金の為だけにこの仕事をやりたいと思うか?」と考えると、答えはノーにしかならなかったのです。

 

面接の流れに入っていたのですが、「落ちた方が有難い」と思う始末なので、正直に「出来そうもない」と伝えてキャンセルする運びとなりました。

 

倍の1000万円だったとしても、間違いなく同じ事をしたと思います。

 

 

 

女性の“中身”は“愛”です。

 

女性を伴侶として選ぶ事が有るとするならば、「この人を見て私の中の“愛”がどう反応するか?」で選びます。

 

そのまま“愛”を感じる事が出来たり、“愛”に届く可能性を感じる人を選びます。

 

「この人は“愛”ではないな」と感じたら、他の要素がどれだけ素晴らしくとも伴侶には選びません。

 

お金も似たようなもので、例えば女性で言うところの伴侶に当たるものが仕事だとするなら、その仕事にも“愛”に相当するものが必要かも知れません。

 

それがお金、あるいは仕事の”“中身”というわけです。

 

 

 

それをそうと感じる為には、直接それを目にする必要が有ります。

 

目に見える世界の現象ですね。

 

投影元が在っても投影先が無いと、投影の内容が分からないのですね。

 

間違いなく素晴らしい映像が納められている事自体は分かっていたとしても、フィムルだけでは何が写っているのか分からないのと同じです。

 

なので、こちらの世界の視点では、投影先を探して回っているように見える行動が必要になるかも知れません。

 

思い付いた事を片っ端から試したり、行こうと思った場所に行ってみたりとかですね。

 

とにかく色々とやってみましょう。

 

今、「“お金を稼げる人”を何と言うか?」という事を考えています。

 

言い換えるなら、「“お金を稼げる人”に感じられる要素・性質は何か?」です。

 

それを見付ける事が出来たら、私は“お金を稼げる人”に成れるかも知れないのです。

 

何故ならば、「感じたものそれ自体が自分自身である」という、私の中では決して崩れる事の無い事実が在るからです。

 

それが唯一、私が事実として認定するに足る根拠です。

 

 

 

「お金を稼ぐ能力は評価に値するものだ」という事は分かります。

 

女性で言うなら“美しい”とか“可愛い”とかですね。

 

それらの要素は好ましいものとして認めるに足りますね。

 

そういう感じです。

 

今の段階では“凄い”が精一杯なのですが、それではないと思いますね。

 

私の中にはそれではない何かを感じています。

 

今はそれを突き止める事が先決です。

 

 

 

今の私にしっくり来る言葉として、「私はお金を稼ぐ必要が有る」というものが有ります。

 

これは「経済的困窮から脱する為」とか、「豊かな生活を送る為」という俗世的な理由では無さそうです。

 

「私は愛を知る必要が有る」と同じく、今生の目的のようなものに感じられます。

 

言うなれば魂の目的です。

 

「お金に関して最高の体験をする」と言い換えても良いかも知れません。

 

 

 

「お金を稼ぎたい」ではなくて、「お金を稼ぐ必要が有る」なのですよね。

 

欲求ではなくて、堅い言い方をすれば使命に近いです。

 

魂の目的とお金を稼ぐ事が結び付くような発想は、“働きたくない”が一番の願望だった以前の私では到底出来なかった事でしょう。

 

私は完全に同意します。

 

私が活きる道はそれしか有りません。

 

 

 

「どうやって稼ぐのか?」という思考が起こっています。

 

それは自然な事でしょう。

 

しかし、思考は稼ぎ方を知らないわけで、知らない者と一体化して一緒に悩むような事はしません。

 

思考よりも遥かに大きく、強く感じられるものが私の中に在ります。

 

それを頼る事にします。

 

「今生で稼ぎ出せる上限までお金を稼ぐ必要が有るのではないか?」という事を考えるようになりました。

 

それは、「私にはお金を稼ぐ能力、もしくは大金を手にするだけの器が有るのではないか?」という事です。

 

“働きたくない”を非常に魅力的に感じていた過去の私なら、「絶対に有り得ない。無理に決まっている!」と本気で思った事でしょう。

 

でも、「今の私なら有り得なくはない」と思います。

 

内にそれが在りさえすればそれで良いわけですからね。

 

 

 

「“大金”で良いのか?」とか考えています。

 

私の中には“端金”が在ったわけですから、“大金”が在ってもおかしくありません。

 

そういう事を考えていると、“豊かさ”と言えなくもないものを感じて来ます。

 

女性だって最高次元のもの(“愛”)を見付けているわけですから、お金も最高次元のものを求めて然るべきです。

 

「お金の最高次元って何だ?」と考えたりもしますが、やっぱり“豊かさ”で良いのでしょうか?