※ 貝塚カメラマン撮影『カルミナ・ブラーナ』

 無垢な青年が、運命に立ち向かう決心をした様を見事にとらえている。

 眼光の鋭さは、平昌の「SEIMEI様」を彷彿とさせる。

 

※まるでffゲームの主人公みたいだと騒がれた一枚。

 

『カルミナ・ブラーナ』は多くのスケーターが演じているということで少し調べてみたら、2015年のFaOIで、当時32歳だったプルシェンコも演じていた。

ソチ五輪翌年で彼もまだ元気、質の良いジャンプを4本も組み込んだ重厚な演技で観客を圧倒し、魔王君臨で場を支配していた。

※この時の映像には凄味があった。

しかしこの直後、オオトリで登場した弱冠20歳のメロン姫

羽生が、感情豊かな表現力と繊細な演技で

『ビリーヴ』を熱演して観客を魅了、すべてを持って行ってしまった。

プル様を前座にできるのは羽生選手位なものである。

あれから9年、運命の女神は今、プルシェンコの未来を大きく変えようとしているかのようだ。

 

糸井重里やGUCCIなど、最近は羽生選手の情報過多で脳が飽和状態となり、ブログを書くことも失念してしまった。

しかし、ファンの端くれとしては、忘備録として感想も少し残しておきたい。

 

来月の「RE_PRAY 宮城」追加公演のチケも発売となり、今度こそはと淡い期待を寄せている。

羽生選手の単独公演にはとことん縁がなく、"GIFT"も

”RE_PRAY”も全滅だったので、今回は本当のラストチャンス、リベンジできればいいなと思っている。

昨夜の「RE_PRAY 佐賀」のCS放送を見たら、やはりライブには行きたいと強く感じた。

宮城のアンコールには"Goliath"(ゴリアテ)も追加でお願いしたいところだが、欲張りすぎかもしれない。

 

気が付けば"notte stellata"公演も大成功に終わり、新プロの『カルミナ・ブラーナ』と『ダニーボーイ』のHulu見逃し配信を繰り返し見ている。

『カルミナ・ブラーナ』は、序盤の音楽があまりにも壮大で、胸焼けしそうでこれまで避けていたが、歌詞を調べてみると、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり---」と同じように、儚くも残酷な人の定めを詠ったものだった。※

ままならぬ運命を嘆く気持ちは、世の東西を問わず変わらないようである。

 

『カルミナ・ブラーナ』の後半での羽生選手は、大地真央と息がピタリと合った操り人形のような演技を見せた。

あの動きには、西洋のパントマイムというより歌舞伎の

『操り三番叟(さんばそう)』のようなテイストを感じる。

※演者が阿吽の呼吸で人形遣いと操り人形を演じる

 

名作『スワン』もそうだが、羽生選手の演技には、西洋的でありながら、所作に日本の伝統芸能の息吹を感じることが多い。

プログラムの前半で、羽生選手がクラシックバレエのようなポージングを決めながら軽やかに舞った、第7曲

「森は花盛り」のパートも新鮮で美しい。

躍動感あふれる豪華な音ハメ3Aはまさに絶品である。

 

ゲーム音楽、クラシック、ジャズ、コンテンポラリー、日本の伝統芸能だってOK、ジャンルを飛び越えていく羽生選手はマジで天才なのである。

 

「天才」の定義や解釈は色々あるが、自分の中では、文筆家の森本哲郎の言葉が強く印象に残っている。

森本は著書の中で、ベートーヴェンという天才について持論を展開している。

「天才と言ってしまえば、それで終わってしまう。

しかしどのような天賦の才も、生身の人間が人生の歩みの中で、それこそ体を張って育てていくものだ。

だから偉大な芸術作品は、いかなる領域のそれにせよ、例外なく苦闘の中から生まれるといってよい。

敢えて言うなら、苦闘こそ<芸術の母>なのである。」

※森本哲郎著『続 生き方の研究』より一部引用

 

ベートーヴェンは、29歳の若さで音楽家としては致命的な難聴を患い、自死も考えるほど絶望に追い込まれた。

しかしその後徐々に立ち直り、絶望と苦悩の中で

『交響曲第5番 運命』や『第9番 合唱付き』など、不屈の名作を次々と生み出していくのである。

ベートーヴェンの音楽、それは命を削り、体を張って創り上げた傑作集である。

彼の音楽が、今なお時代を超えて世界中の人々感動を与え、愛され続けているのは、逃れられない運命に立ち向かう不屈の精神がそこに宿っているからである。

 

羽生選手を見ていると、

「偉大な芸術作品は苦闘の中から生まれる」という森本の言葉が説得力を持つ。

震災体験という重すぎる試練、コロナ禍でやむを得ずに選択された深夜の練習、あまりにも傑出した才能故に恐れられ、異端者のように彼を扱う凡庸な組織、四面楚歌ともいえる状況下で尚輝きを失わないでいられたのは、ベートーヴェンと同じように、彼も又過酷な運命に抗う不屈の精神を持っているからであろう。

 

羽生選手の命を削るような練習の積み重ねは、リアル体を張った「苦闘」以外の何ものでもない。

しかしその結果として、プロ転向後は「プロローグ」、GIFT"、"RE_PRAY"、"notte stellata"の中で珠玉の芸術作品が新たに生み出された。

羽生結弦という天才がこの先どこまで駆け抜けるのか、ファンの一人としてワクワク、ドキドキしながら見守っていきたい。

 

 

 

※参考までにYTで見つけた「カルミナ・ブラーナ」のお気に  入りの翻訳を紹介する。

 歌の一節ごとの翻訳なのでわかりやすい。

 

  カルミナ・ブラーナ  『運命の女神』

  

   おお 運命よ

   月の如く

   移ろいやすい

 

   つねに満ち

   あるいは欠ける

   忌まわしき命

   

   拒んだと思えば

   救いの手を差し伸べ

   正気を弄び(もてあそび)

   

   欠乏も

   権力も

   氷の如く溶かし去る

 

   運命 恐ろしく

   かつ空虚なもの

 

   回る車輪の如く

   悪意に満ち

   救いも虚しく

   つねに無と帰する

 

   黒影とヴェールに身を隠し

   また我にのしかかる

 

   今や遊戯のなか

   わが裸の背は

   汝の悪意に晒されるのみ

 

   救済も

   美徳も

   いまは我に背き

 

   駆り立てられ

   欺かれ

   隷属の中にあるのみ

  

   時に在りて

   遅るることなく

   震える弦を鳴らせ

 

   運命によりて

   強きものも斃れる(たおれる)がゆえに

   すべてのものは我と共に哭け(なけ)