札幌の紅葉が始まる(道庁前公園)

東京オリパラが終わり、フィギュアスケート界が本格的に動き出した。

ロンバルディア杯の女子優勝は米国のアリサ・リウ選手、ショートとフリー共にほぼノーミスに近い出来ではあったが、あまりにも爆盛の銀河点にいささか閉口した。

確かに、チャイコフスキーの「バイオリン協奏曲」に合わせて彼女が愛くるしい笑顔で滑ると、思わずつられて笑顔になってしまうような魅力があるにしてもだ。

 

男子の優勝はイタリアのグラッスル選手、ショートの『ヌレエフ』はコリャダ選手のイメージが強くて今一ピンと来なかったが、フリーの『インターステラ&アルマゲドン』は、クワド3本をバッチリと決めた圧巻の演技だった。

グラッスル選手のプロは、ダークヒーローの『ジョーカー』や、自殺願望のあるLGBTQの男を描いた『シングルマン』など、どちらかというと暗くて難解な社会派作品が多い。

フィギュアスケートでは定番の、クラシックやミュージカルなどの王道路線に敢えて行かないのは、彼のスピン同様、独創的で芸術的な感性によるものだろうか。

数年後には、フィギュアスケート界のフェリーニ(イタリア映画の巨匠)と呼ばれているかもしれない。

 

ロシアのテストスケート男子で印象に残ったのは、新プロを二つ揃えたコリャダ選手と、若くてジャンプにも勢いのあるセメネンコ選手、ジャンプは今一だったが、滑りが美しいアリエフ選手の演技だった。

コリャダ選手のフリー『シンドラーのリスト』は繊細な演技だとは思うが、自分の好みとしては、優雅なダンサーのように嵌り役だった『ヌレエフ』を継続してほしかった。

『シンドラーのリスト』は、やはりジェイソン・ブラウン選手の方が重厚さや悲壮感が鋭く表現されているような気がする。

 

一方女子のショートは「絶望のワリエワ」、フリーは「驚愕のトゥルソワ」が世界を震撼させた。

トゥルソワ選手のチャレンジには拍手を送りたいが、羽生選手の言う正しい技術という点ではどうなのだろうかという疑問は残る。

ワリエワ選手の演技には、美しい美術工芸品のように完成された「美」を感じるが、羽生選手の『オリジン』や『マスカレイド』のように、「魔」と融合したような「壮絶美」を出すまでには至っていない。

フリーの『ボレロ』もまだ彼女にとっては難しいのか、いささか持て余していたようにも感じる。

15歳の少女にそこまで求めるのは酷かもしれないが、16歳当時の羽生選手が『旧ロミジュリ』や『悲愴』で訴えかけた悲しみや怒り、運命への挑戦といった、人間としての生々しい感情も表現できるようになれば、本当の意味で「鬼に金棒」になると思っている。