開催直前まで何かと物議を醸していた東京五輪がいよいよ開幕した。

日本らしい伝統と、IT技術を駆使した現代的な演出が中々良かった。

最終ランナーは大坂なおみ選手に落ち着き、何となくホッとしている。

コロナ禍での五輪にも関心があるが、羽生ファンとしては、もしかしたら地域枠が増えるかもしれない、「DOI 2021年ドキュメント放送」の動向も気になる処だ。

 

DOIの公演から早2週間が過ぎたが、「マスカレイド」の衝撃は大きく、未だに人々の心を捉えて離さない。

最終日の演技を観たトシさんは、「表現をぶち壊し 新たな羽生結弦の衝撃をぶちかましてきた--- そして僕はそれ迄の自分の表現をぶち壊し 新たな<龍玄とし>の衝撃をぶちかますべく  筆を持った」と、創造意欲を激しく駆り立てられたことをブログに綴った。

超一流のアーティストを驚愕させ、一瞬にして創造者としての原点に立ち返らせる羽生選手という存在は、最早ミステリーでさえある。

2年前のFaOIよりもはるかに進化した「マスカレイド」、生歌ではないのに、羽生選手の演技が自分の歌声と共鳴し、「美」の圧となって迫ってくることは、トシさんにとっても予想以上に嬉しいサプライズだったのだろう。

 

「新マスカレイド」に魅了された者は数知れず、羽生選手の演技を「嵐に晒されている牡丹」に例えた有名ライターもいた。

羽生選手の何がこれ程人々の心を揺さぶり、虜にさせるのだろう。

「マスカレイド」の感想を見ると、ファンのある者は深淵を覗いた哲学者になり、ある者は詩人となり、ある者は文学者になっていた。

文豪ゲーテは、「芸術家の創造活動は、人間の奥底に潜むデーモンのなせる業だ」と言った。

ダビンチが描いた「最後の晩餐」も、ゴッホの「星月夜」も、ヴェートーベンの「運命」も、そしてドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も、デーモンの仕業に違いない。

 

「マスカレイド」を演じる羽生選手の中にも、デーモンが潜んでいるのは間違いないだろう。

しかし、それは芸術的な創造性だけではなく、冷徹で強靭なアスリートとしての魂も併せ持つものだ。

2018年1月、平昌五輪を目前にして、アジアンタイムスの記者は羽生選手をこう評した。

「わずか23歳にして、ユヅル・ハニュウはルドルフ・ヌレエフ(バレエダンサー)の優雅さと魅力に、ロッキー・マルシア(ボクシング世界王者)の鋼鉄さと本質性を融合させたのだ」と。

先見の明があるこの有能な記者は、今の更に進化した羽生選手を見たらどう評するのか、知りたいと思うのである。