小さい時からジブリが好きで
映画が好きで
でもその中で「耳をすませば」は好きだけど
なぜか見たいようで見たくない、でも見たい作品だった。
たまたまやっていた金曜ロードShowを録画していた。
「耳をすませば」だった。
数年ぶりに見たけれど、
最初はやはり楽しい。
"自分にも不思議な出会いから物語がはじまりそうな気がする"
そんな気持ちで胸が一杯になる。
でもやっぱり後半でしんどくなる。
雫が物語を書き連ねている時だ。
辛くても自分の可能性を試している時だ。
なぜ後半になるにつれて胸が苦しくなるのか...。
それは、自分の可能性を信じて、いや
可能性なんかないかもしれない。
それでもやってみなくちゃ分からない。
自分はどこまで通用するのか、やり切れる人間なのか
その答えを見つけるために向き合っている雫の強さと
その強さを持ち合わせていない自分とを比べてしまうからだとこの歳になって気付いた。
幼いころはここまで明確には分かっていなかったろう。
でも昔から絵本や本、ゲーム、漫画など物が語られているものが大好きだった、私。
作家になりたいと思ったこともある。
その他も漫画家、アナウンサー、シナリオライター、ディレクター、
役者や声優にもなりたかった。
いや、今でも憧れる。
とにかく小さい時からなりたいものが全てメディア関係で
しかも才能がなければならないものばかりになりたがっていたのである。
その夢が幼いながらに自分にはできないと思っていたのか、
表題作を見るといつも心がズキズキした。
「人と違う生き方をするのは、とっても辛いこと。何があっても他人のせいに出来ないんだ。」
今見ても思う。
このお父さんの言葉に胸が締め付けられていた。
きっと皆何かしらの才能=原石を持っている。
でもそれを磨いて輝かすことができるのは、
お父さんの言うようなことを受け入れる覚悟があるかどうかということ。
その覚悟を作中の2人"雫"と"聖司"はわずか中学3年生の頃から持ち合わせていたのだ。
このことを知ってか知らずか幼い私には、目に見えない大きな壁のように感じられていた。
だからこの作品が少し苦手だったのだ。
好きだけど、諦めている自分が責められているようで。
厳密には、"責め"というよりは"励まし""可能性"について言及しているのかと
今は思える。
TVでは進路や恋に悩む若者、青春だとかなんとか言っていたが
私はそうではないと思う。
誰もがなりたいと思ったものがきっとあって。
でも歳を重ねれば重ねるほど、心の中でそれを諦めていってしまう。
安全な道を選び
人と違うことを拒む。
私もその中の一人だ。
本当の私が埋もれていくように。
新社会人になって早3ヶ月。
自分の人生について悩み始めている。
好きなことを仕事にするのか
仕事の他の時間に好きなことをするのか
これら2つはあまり変わらないようで大きく変わる。
ちょうど習い事を始めたいと思い始めた。
何をするかはまだ決まっていない。
でも自分が好きなことはある程度自分で分かるはずだ。
今から可能性を見出すことが間に合うのか。
もしかしたら可能性なんてもとからないのかも知れない。
それでも"やってみなくちゃわからない"と思う。
ただの時間つぶしの為に習い事やスクールに通うのではなく、
自分を試す、またそのような覚悟を持って取り組みたい。
長年もやもやしていた自分を測る重要な機会になると思うから。
"ふるさと"の歌でなく"自立"を歌っているようなカントリーロードの歌詞。
大阪から東京に来た自分へのエールだと思って当分頑張ります。
自分の為に以下に歌詞を載せる。
そして今日の戯言はこのへんで。
見て下さった方ありがとうございます。
貴方の覚悟はなんんでしょう?
素敵な出会いがありますように。。。
カントリー・ロード
この道 ずっとゆけば
あの街に 続いてる 気がする
カントリー・ロード
ひとりぼっち 恐れずに
生きようと 夢見てた
さみしさ 押し込めて
強い自分を 守っていこ
カントリー・ロード
この道 ずっとゆけば
あの街に 続いてる 気がする
カントリー・ロード
歩き疲れ たたずむと
浮かんで来る 故郷(フルサト)の街
丘をまく 坂の道
そんな僕を 叱ってる
カントリー・ロー ド
この道 ずっとゆけば
あの街に 続いてる 気がする
カントリー・ロード
どんな挫(クジ)けそうな時だって
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため
カントリー・ロード
この道 故郷(フルサト)へ 続いても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード
カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード