やまとをみなの誉れ~新世界へ~

やまとをみなの誉れ~新世界へ~

花の薫りにあけそめて月の光に暮れてゆく
花のごとくも麗しく月のごとくも清らけく
千代に伝えん我が思い

時は流れ、2024年2月になりました。

当時はガラケーからポチポチブロクを投稿していた私は、今もスマホからポチポチと打っています。

SNSはアメブロ→mixi→Twitter→インスタ

と派生していき、2014年辺りからツイ廃としてアルファツイッタラーの道を歩むことになりました。今もTwitterがXになっても変わらず、投稿しています。


あれから13年経ちます。今も忘れられない、東日本大震災の日をきっかけに私の人生は闇との戦いの日々でした。18歳の時に書いた文章が残っていてとても助かりました、なぜなら、私は今もまだ同じテーマで悩み、日々を苦悶して生きているからです。まるで螺旋のように上に上がっているのに同じところに戻ってくるのです。


言語化をあれだけ本質的にとらえてできているのに、何故か今も変わらず、深い自己嫌悪と承認欲求、自己存在否定を繰り返し、愛されているのに足りないとだだをこねて、異性関係も随分歪で経験豊富になってしまいました。


一方、表面の見栄えだけは宜しくあのまま府大の大学院を卒業して2018年当時は1部上場(今は東証スタンダード)の会社に入社。専門職としてのトレーニングを重ね3年半勤め、転職。業界のリーディングカンパニーで2年4ヶ月勤めています。履歴書だけはとても立派です。

今年1月に仕事が忙しくて体調を崩しました。

おとなになった私は大事に至る前に上司に報告して仕事による長い体調不良には至りませんでした。回復に向かっていますが、メンタル不調に陥るのはいつも同じ問題からです。

その本質を辿ると、18歳の時と全く変わっていないのです。

「苦しい、成長したい、頑張りたい、でももう無理かもしれない、でも、がんばりたい、つらい、自分はなんてダメなやつなんだ」


そして私は確信しました。

「このままでは一生幸せになれない」

この螺旋のループから抜け出さなければ、私はずっと何をやっても満足しない。


キーワードは

存在、価値、愛、努力、理想、現実


これらの強烈な認知の歪みが、高い檻となって私を捕らえていると確信しています。


私の大陸出身の上司と同僚から私の認知の歪みを明確に言語化してもらえました。大陸出身の彼らの自己認識は私に足りないものでした。他人と自分を明確に分け、自分を唯一無二と考えている。


私の存在は唯一無二のものであり、自分が心地よいと思う方向に生きればよい。


そう、無理に頑張らなくてもいい、疲れたら休めばいい、チャレンジして出来なかったら少し反省してまた次の機会にチャレンジすればいい。自分に優しくすること、周りは二の次。案外周りの人は気にしてはいない。そんなマインドです。

100パーセントを目指さなくていい60パーセントでいいと。


私はようやく長い螺旋から抜けて、自分の人生を生きていけるような気がします。まだまだだけども。

本当は京大にも行きたくなかったし、研究職にも付きたくなかった。

ただ、私は親の喜ぶ姿を見たかったのだとようやく気づきました。愛されたかっただけだった。

私の本当にやりたいことがなんだかまだ分かりませんが、創作に関わる方向だろうなとは漠然と見えています。ライターの仕事を副業でやってみようかなと考えています。


そして6月から留学することにしました。1から学校生活を再体験しようと思います。楽しみです😊


パートナーはまだ居ません。自分のことで精一杯なので、いい人がいたら一緒に生活したいなぁ。

私という唯一無二の存在が確かな愛を受け取りそして与えられるようになったら、きっとご縁もくるでしょう。


幸せにもっとなりたいなぁ。まだもう少しかかりそうです。乞うご期待。








3年ぶりの更新です。

生きてます(笑)もう25歳になりました…このブログを始めたころは、本当にモノを知らない、子どもだったなぁって今は思いますし、今もまだまだ子どもだなぁと思います。

 

大学4回の卒論付近で大きな体調不良に見舞われ、5キロほど痩せませましたが、周りの人の助けもあって、無事に卒業しました。なんと、その後大学院に進学(笑)そして、今はマスター2回の前期も終わりといったタイミングです、、、その後の進路も無事に決まり、来年から社会人です。びっくりですねぇーーー。あんなに社会に対して不安や自分の価値とか悩み倒してた人間が、紙面で見れば順風満帆な進路をとろうとしている(笑)

まぁ、悩みなつきないです。。。

まだ、1ヶ月に一回は良くわからない体調不良に陥るし、普通の生活というものに擬態しているだけで、やっぱり私はちょっと周りの人とは違うんだなぁと思います。まぁ、それも自分の個性だし、それでもいいかなぁ。最低限の生活と社会生活ができれば、高望みはしないし、自分に対して過度に期待したり、それ以上のことを求めたりしなければいいのかなぁと25歳らしく割り切って適応していこうかなと、そんな気持ちで今はいます。

 

25歳になって19歳の時の自分と大きく違うところは、

・自分に多くを求めなくなった。できないことがあってもいいと思えるようになった。

・「しなければならない」は賃金や生活が関わっていること以外は存在しない。(した方がいいこととしなければならないことの線引きできるようになった)

・学歴や勉強がすべてではない。自分が楽しく、幸せに生きることの方が大事と思う。

 

誰かをけなしたり、暗い感情を煽動することに価値を見いだす性格ではもとからないけど、どこか、自分と他人を常に比べて、優位にたっているかどうかが価値を判断する材料だった気がします。でも、今は自分がどう感じてどう生きたいか、が大事だなと思えるようになりました。

 

6年間の大学・大学院生活を通して、分かったことは

・私は体力が他の人よりない。

・私の頭自体は自分が思っているほど悪い訳ではない。割と協調性はある。

・食べ物に対して感じる喜びが大きい。

・違った生活を送るよりも平凡な生活を送ったほうが私のしあわせには結びつく。でも、どこかしら、平凡は嫌だという気持ちもある。

 

ということで、5年後くらいには結婚して子どもができれば出産して子育てをしながら、自分が出来る範囲で刺激的な仕事をして兼業主婦になりたいです。

6年前の自分ならそんな平凡な(ノーベル賞をとりたいとか本気で思っていたタイプ)夢はNGだったはずだけど、まぁ、身の丈に合った生活をしたいと今は思っているというのが、一番ですね。あとは、折角女に生まれたのだから、出産子育てを経験したいというのもあるかなぁ。

幸いにも、今は結婚したいなぁと思える人とおつきあいしているので、この夢は手中にあります。若干保険みたいなかんじですけど、、、

 

さて、問題はあと半年のアカデミック生活ですね…。

正直、進学したときはまだ、自分が特別になりたいという気持ちがあったので、そのままアカポスにつきたいとか思ってました…なんと、そんな苦行が出来るヒトは本当に選ばれたタフな人間だけです…私には無理、と思ってしまったので、去年の今頃に真剣に辞めようと思いました。でも幸か不幸か、結果はボンボンでていたので、進捗もあったし…辞めてしまうのはもったいないというのもあり、今に至ります。なんで、今モチベーションがほぼないです…。やれと言われたことはこなすけど、やっぱりストレスを感じてしまう…これで、お金がでてるんだったら、喜んでやるッて感じですけど…好きなことではないのでなかなかキツい。あと半年で決別できる!!って考えて、やるしかないですね。とにかく、走り抜ける!!!!

 

 

6年という歳月は現実と理想のギャップに苦しんでいた私を妥協へ導くには必要な時間でした。妥協が必ずしも悪いことでないことを学ぶにも必要でした。そして、世の中は案外広くて、いろんな人間がいろんな価値観で生きていること、その中で自分を見失わないようにするためには、自分を知って自分の価値観を持っておくことが大事なんだなと思います。6年間悩み続けた私の答えは結局これなのかなぁ。

 

ちなみに、まだカウンセリングには通っています。まぁ、昨日も行ってきてまだまだと言われたところなので、まだまだ心と身体のバランスを平穏に保つというのは難しいなと思います。

 

まぁ、ぼちぼちいきますーー

ブログ本人がアメーバにログインしなさすぎてパスワードを忘れるレベルで
放置しておりました…w

2014年も、もう8月の末…

私も大学3年生となり、毎日実験の日々でした。漸く理系化学系の学生としての生活になったかなという感じです。学校も毎日通えるようになりました。自主休講は半期で1回しかしませんでしたし、単位もおそらくすべてとれました。こんなことは初めてで、4年目にしてやっと、追いついた感じがします。

2013年後半から 今日に至るまで激動の日々でした。
具体的にはありすぎて書くのがめんどくさいので省きますw

代わりに最近強く思うことを。
塾の講師をしていても、私が中学生当初のことを思い出しても、
「私も大人になった」と強く思います。 

 具体的に言えば、広い視野で物事を考えられるようになったと思います。
自分の目に見えている部分でしかものをとらえないのではなく、背景にあること、周りにあることを加味したうえでの行動がスムーズにとれるようになってきたかなと。その時は辛く当たる厳しい先生も回り回って広い目でみれば自分のためになったり、甘く、優しい先生は実は一番自分のためにならなかったり、そういった、真の価値のようなものを見極められるようになってきなのかなと感じます。
 また、持つ感情も前よりもストレートになった分、分かりやすく、自分で収められるようになったと感じます。前は、自分の持っている感情の正体が分からず、対処の仕方も間違ってぐちゃぐちゃになっていたかと思います。感情はその時々に抱いてもいいものだと知りましたし、その方があとから爆発しなくて、楽です。
 以前の私はたとえば、友達から仲間はずれにされても、いろいろ正当化して怒りや悲しみやそういった感情を感じないようにしてきました。その方が”大人”だと思っていたし、実際、だだをこねないところが"大人”だと思われていました。でも、それは実際あとからしわ寄せがきて、行き場のない感情は行動になっていました。たとえば、過食、攻撃といったものに大きなエネルギーとなって変換されていたように感じます。結局、その場の感情を消化できずに溜め込み、爆発させていただけにすぎず、それは大人とは呼べなかったのです。そのことに気付くのにも時間がかかりましたし、やっと、素直にそのときに寂しいと叫び、短時間で回収できるスキルを身につけたのかなと。たぶん、こうやって自分の感情を適切に処理でき、コントロールできるのが真の大人なのだと思います。

 まだまだ私は未熟だなと思う部分がたくさんありますが、やっとスタートラインに立てたと思って、これから様々なことに挑戦していきたいです。

そういった、前向きで、自分だけじゃない未来のことも考えられるようになったのは本当に進歩だと思います。
夜も昼もずっと不安で不安で、将来ちゃんと自立できるのか、そんなことばかり考えて、それよりも今、目下のことで頭がいっぱいだった自分にちゃんと、どうにかなるよと教えてやりたいです(笑)