親が、私にグループホームに入所してほしそうにする。
言葉の表面って、噛み砕かなければ伝わらないものだから、投げかけられた時、瞬時にその裏側を察することってあまり無い。
親に「働く気になるだろうから、グループホームに入った方がいいと思う」と言われた。
父親にも、「そろそろ働いてほしい。普通のところはダメなのか」と言われた。
2人の言葉の裏側には、沢山の子を想う気持ちが含まれていると思う。
「自分たちが死んだら、この子のその後の人生は」
「病気も落ち着いたように見えるし、ちゃんと働けるんじゃないか」
「1人でもしっかり生きてほしい」
そういった、心配や期待があるんだと思う。
私はと言えば、漸くアップダウンが落ち着いて、B型で安定して働きたいなと、着実に心の準備を整えていて。でも、親の焦りや不安にどうしたらいいか分からなくて、居場所がどこにもないような気がして、凄く辛くなってます。
ハンディキャップが多いからこそ、先を見据えてゆっくり行動していきたいという気持ちが、親には怠慢のように感じられる部分もあるかもしれません。
複雑です。
親を責めたい気持ちと、理解したい気持ちと。
あの日、あの時。
そんな風に他人を責めたところで、心が軽くなる事なんてないし、過去が変わる訳でもない。
じゃあ、私はこの苦しみを何にぶつけたらいいんだろう。
抱え続ければ、いつかは消えると思ってたのに、日に日に大きくなっていくし、生きるという事自体、目的が分かりません。
私はもう、健康だった頃には戻れない。
心は痛みに敏感だし、脳の障害もあるし、左手も麻痺。
神様は、耐えられない人には試練を与えないと言いますが、本当なのだろうか