生きる | 情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

愛着障害、高次脳機能障害、情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害、左手指の麻痺

生きることは簡単ではありませんが、それでも生きていきたい。
そんな前向きな日々を過ごしていきたい。

生きる

 

初めまして。双星です。

 

精神症状を自己管理する目的でブログを開始してみました。

 

また、同じ病気で悩んでいる方々の参考になれたらとも思っております。

 

どうぞ、よろしくお願い致します。

 

さて、タイトルの「生きる」ですが、自己紹介がてら語らせてください。

 

現在22の私。

 

幼い頃は夢や希望が心を満たし、自動的な流れで叶えられるものだと思っていました。

良く言えば純真無垢、悪く言えば愚か者です。

 

今となっては、例え「愚か者」でも夢の一つ語れる人間はとても魅力的だなと感じます。

 

何故か、人間は生きる程「現実を痛感させられるから」です。

 

私も、例外ではありません。幼稚園(保母含む)からいじめられ人生のスタートを切り、親は認知しながらの放置、殴る蹴る、教員も認知しながらの放置。挙句重篤な病気により障害が残り生きるのに不自由になり、希望や夢なんてものは消滅しました。

 

そこで私は「死んだ」のです。

 

病気により助かった喜びなど当時は持てませんでした。

通いたかった高校、味わいたかった青春。

勿論、高校生の誰もがそれを自覚して生きていることなど無いでしょうし、実際は人間関係に悩む事の方が多いと思います。

 

頭では分かっているのですが、中学まで友達も何もかも、無かった私には大きな分岐点で、新たな「希望」を生み出す可能性のある場所という固定観念が強かったのです。

 

病気後、右側頭部の骨が無い上左半身の麻痺が強かった私は「養護学校」に入学し3年間を過ごすことになりました。

 

途中、水頭症の手術や人工骨を嵌める手術も行い、やっと日常生活を取り戻すことが出来ました。

 

「健康」というのは精神も健やかにさせるので、じわじわと希望が心を満たしていきました。

 

それは「介護福祉士」になって、自分の様に不自由な方を助けたいという思いでした。

ところが、大学に行くことは親が断固反対。遠い道のりになりますが、ひとまずA型就労施設で働きながら「介護士初任者研修」を修了しました。

 

現在、それすら活かせず自宅療養中です。

 

高校卒業後、親の強制によりA型就労施設で働くことになったのですが、職場環境は驚くほど「ホワイト」でした。アットホームで休みはいつでも取れますし、残業代も付き、夏季冬季休暇もあります。

 

仕事にも慣れた翌年の4月、入って来た新人に「あなたの仕事は誰でも出来るから、あなたはこの会社に必要ない」と言われたり陰口を叩かれたりと様々なストレスで気が狂い、「鬱状態」からの「双極性障害」になりました。

 

そして仕事を辞めて自宅療養。ここまでが私の人生を省略したものです。

 

「生きる」とはなんなのか。何故生きなくてはならないのか。

 

たった22年です。けれども、考えざるを得ない人生でした。

 

答えなんて勿論ありません。

その悩みにぶち当たった所で「死ぬ権利」もありません。

 

人間、産まれたからには生き抜かなくてはならないと思います。

どんな理由があろうと「命」という財産を放棄する事程贅沢な事はありません。

 

生きていれば苦しみは付き物ですが、喜びももれなく付いてきます。

 

人は窮地に立たされた時、初めて今までの生活が「豊か」だったかを知ります。

 

今生きていられる事実を受け止め、私はさまざまな障害と共に日々を大切にしていきたいです。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。