先日、宗像大社へ行ってきました。
早朝なのに夏のような、もわもわ、じりじりの暑さでした。
神様へ会いに行くのが決まると、前日の夜から神様のエネルギーやメッセージが届いたり、当日のお迎えやお導きなどを頂くことがあります。
長らくの読者さんは覚えているかもしれませんが、宗像大社で私を担当して下さっている「お菊さん」。
覚えていますか?。
神様の世界にも、眷属様などたくさんの存在がいらっしゃいます。
お菊さんは、見えない世界の巫女さんのお一人。
参拝者さんや神社の規模によって、その存在の数やシステムはさまざま。
その規模とは、私たちの肌感や、見える敷地や社殿の大きさとぴったり比例するわけではありません。
お菊さんのような巫女さんも、ご本殿の奥の見えない世界のベールの向こう側に、何人もいるような気配がするのですが見せてもらうことはできません。
一度だけ、その奥の赤い橋を渡った先にある、市杵島姫様のお家にお招き頂いたとき、
お菊さんとは別の巫女さんにその世界のことや、私たちの魂のことを教えて頂いたり、おむすびを頂いたことがあります。
(ちなみに、あの世にもおむすびがあり、そのときは梅のおむすびでした。)
神社には、神様一人きりと決まっているわけではなく、このようなたくさんの高次の存在がいて、必要に応じて私たちに関わってくれているんです。
それは私たちが見えているかどうかは関係なくて、たとえ存在を認識してもらえなかったとしても、
人間の性質をよく理解されているので、怒ったり、「無視された」などと誤解されることはありません。
神様とともにある崇高な、高波動な存在なのです。
さて、参拝の朝はとても早いです。
なぜなら、明け方にぱっちりと起こして頂くから。
朝が苦手な私は、おかげさまで、その日ばかりは不思議なくらいすっと起きることができます。
車で行けるところは車で出発するのですが、お菊さんは助手席に座っていて、最近はいろいろお話することはなくなり、見守る色が濃いです。
今回も同じような旅になるのかなと思っていましたが、神社さんへ近づいてくると、突然の賑やかな雰囲気と話し声にはっとしました。
なぜなら朱色の着物で、髪にお花の髪飾りをつけた、お稚児さん姿の双子のような女の子たちがあらわれたから。
お稚児さんの姿と言っても、あの世の存在は「見た目」と「魂の年齢」は一致しませんから、侮ってはいけません。
「ここは右斜線」「ここは左」と道案内をしてくれる、双子のお稚児さん。
ちらりとお菊さんを見ると、それもひっくるめて見守ったまま、静かに助手席に座っています。
幽霊でもなさそうだし、お菊さんも反応していないし、霊的なアンテナも危険信号を発しません。
よーく感覚を研ぎ澄ませると、市杵島姫様に通じる一本の波動を感じました。
この双子のお稚児さんは、市杵島姫様のところからやって来ていて、
私を境内まで案内するお役目を持っていることが、何となく分かりました。
参拝の前日から当日は、こんなふうに見えない世界ではいろいろなことが起こっていて、
もちろん毎回同じとは決まっていなくて、そのときどきで起こることや感じ取れることはいろいろ。
その日の調子でも変わっています。
ちなみに、初めましてのお稚児さんたちに、いろいろと聞きたいことがありましたが、
駐車場へついてすぐに、いなくなってしまいました。
お菊さんは、いつも通りご本殿まで一緒です。
もしかしたら、他の方のお迎えで忙しいのかもしれませんし、
無事にお役目が終わったことで、神様の世界に帰られたのかもしれないなとも思いました。