みなさん、こんにちは。
 
 
今日は久しぶりにスピリチュアルなお話を。
 
 
あの世でのできごとは、必ずしも生きている私たちが知るべきでないこともたくさんあります。
 
 
知るべきでないのは私たちの顕在意識のほう。
 
 
私たちの魂や守護霊様やご先祖様方は事前に知っておくことで、先に起こることへの備えができます。
 
 
他にも理由はたくさんありますが、私たちの意識が覚えておいて良いのかどうかを決めるのはあの世や神様方。
 
 
目が覚めたときには忘れていたり、時期が来れば何かのきっかけで思い出すこともあります。
 
 
もちろん目が覚めた瞬間は覚えていても、しばらくすると忘れることもあるので、
 
 
スピリチュアルに携わる方や霊的な感性を伸ばしたい方は、しかるべき対処法を知っておき、それを実行する意思の強さが必要になります。

 

 

今日は少し前の夢の中で、神様と深くつながり会話させて頂いたときのことをお話したいと思います。

 

 

 

高次元の方々とは起きているときもつながりますが、

 

 

寝ているときは魂があの世に帰りますから、より深くつながることができます。

 

 

不思議な感覚なのですが、起きているときにつながるのは、まるで夢を見たり追うような感覚で認識していて、

 

 

寝ているときはまるで起きて活動しているときのような、とてもクリアな状態で活動したり、会話できる。

 

 

まるであの世の方が現実なのでは?と思えるほど。

 

 

不思議ですよね。

 

 

私の視界からは、私の意識では知ってはいけないこと、時期が早いというものはしっかり隠されていて、

 

 

全ての魂の活動を覚えているわけではないのですが、私の魂は全部見えて、理解している。

 

 

その区別がちゃんとつけられているのは私も感じていて、それを差別や意地悪だなどと誤解する余地は全くありません。

 

 

「あなたは知らなくていい」

 

 

「知る必要はない」

 

 

そういうのははっきりしていて、潔いというか、「そういうもの」なのです。

 

 

その中でもときどきメッセージ性が高い、高次の方々からの強いメッセージや、今まさに必要と判断される情報については、

 

 

まるで映画を見ているかのようにクリアに見たり聞いたりできて、それをそのままはっきりと覚えたまま目覚めることができます。

 

 

 

ここからが本題です。

 

 

私は家族が多くて、長女でもあるので、色々な家族の相談ごとが順番に舞い込んできます。

 

 

夫も長男なので、やはり夫婦ともに家族から頼られる存在なのだと思います。

 

 

昔から不思議には思っていましたが、結婚してから、その引っ掛かりがもしかすると思い込みではないのかもしれない、と思い始めました。

 

 

不思議なことに、お互いの家族の問題や相談ごとが順番に訪れるのです。

 

 

これは不幸なこと限定ではなく、ちょっとした用事や頼みごとくらいでもそうです。

 

 

一人のゴタゴタや用事が終わると、少し何もない平和ないつもの暮らしに戻り、そしてまた次の家族からの相談や連絡が入ります。

 

 

本当に不思議だなと思います。

 

 

ですがこのようなスピリチュアルなお仕事をしていても、頼られる長女であっても、全部を綺麗に解決してあげられるわけでもなく、

 

 

その度に、神様方やご先祖様方と大反省会をすることもあります。

 

 

もちろんわが家の神様やご先祖様は、どちらの味方をするわけではなく、

 

 

「人とはそういうもの」

 

 

「感情は扱いが難しい」

 

 

人とは、この世とは、そういうものなのだ、といいます。

 

 

だからと言って、「学びだから」「修行だから」と精神論というか、正論のようなものを振りかざすことはありません。

 

 

相手にも事情があるように、私が感じたことや思ったこともまた、押さえつけたり、我慢させたり、無かったように知らん顔して良いものではないからです。

 

 

私が感じたことや経験を踏まえた上で、甘やかしたり、肯定したり、慰めてくれることもない、ちょっと厳しめのわが家の神様方。

 

 

昨今の都合の良いスピリチュアルと違い、厳しさの中にはやはり深い慈愛が込められているのを知っているので、

 

 

耳が痛いことを言われても、私はなかなか簡単にはシャットダウンできないのです。

 

 

そんな神様やご先祖様方と行うあの世での魂会議では、さまざまな作戦を立てて、この世で私がぶつかる私自身の性格と、できごとを解決する方法を話し合います。

 

 

そうです。

 

 

相手を変える方法ではないのです。

 

 

私の性格が悪いのです、

 

 

と皮肉めいてみましたが、神様方との会議では、言われることは厳しめですが、

 

 

「魂から俯瞰して見る」こともセットでさせてもらえるので、意外とぐさっと来ることはありません。

 

 

魂から客観的にみた自分を俯瞰しながら、神様方は、

 

 

「こういう言い方ならできるよね」

 

 

「こういう道のりならできるんじゃない?」

 

 

「この選択なら納得できるよね?」

 

 

「こう考えたら楽になるよ」

 

 

と、過去への注意や反省やお小言やお咎めではなく、「私がちょっと頑張ればできそうなこと」を提案されます。

 

 

それって、占いとはちょっと違いますよね。

 

 

神様方は「こうすれば上手くいく」とか、「〇〇すれば成功する」ということを教えてくれているわけではないんです。

 

 

この世の歩き方というか、生き方というか、

 

 

私の魂の性質や、この体の体質や性格、魂の計画を踏まえた上での、

 

 

ちょっと頑張れることや、現実的な選択肢を提示してくれている。

 

 

しかもそのときの私は魂の状態に近いので、「でも」「だって」というよりも早く、先を見通し理解が深いので、すんなりと納得できる。

 

 

そのときは理解も納得もできるけど、やっぱり自分自身の体に戻れば、「分かっているけど」「言えば易しだけど」とも思う部分もあります。

 

 

最終的にどのような言動を選ぶのかは私自身に託されていますが、

 

 

「それならできる」と思えてくるから不思議です。

 

 

夢の中で「それならできる」と魂の私が思い、あの世からこの世へ帰ろうと、あの世へ背中を向けた瞬間に、

 

 

神様たちがこっそりと、ちょっぴりだけ背中にパワーを注入してくれているのを知っています。

 

 

だからこそ、起きたときにしっかり覚えてるし、気力も回復しているんです。

 

 

魂での深い理解もあるので、やはり最終的には魂が納得した方法をとれる確率が高くなります。

 

 

「やってあげよう」

 

 

「「お姉ちゃんだから」にはもう辟易してたけど、お姉ちゃんだから頑張ろう」とも思える。

 

 

そういう気力ややる気に変わっているし、意固地さやこだわりもなくなり、気持ちが楽になっています。

 

 

そして、そこを頑張れば「魂の霊格がちょっぴり上がる」ことも分かる。

 

 

だからこその、たくさんのサポートが入る瞬間なのです。

 

 

どなたも寝ている間は「魂の活動の時間」ですから、色々なことを見聞きしたり、活動したりしています。

 

 

その中でもときどき、全てを覚えてはいなくても、

 

 

印象に残っていたり、志が生まれたり変わったり、大きな気づきにハッとして目が覚めることがあります。

 

 

それは意識して、覚えておいたり、心得ておいたほうがいいです。

 

 

胸に刻むというか、実行するかどうかは別として、そういうことがあったというのを覚えておく練習です。

 

 

霊的な感覚を伸ばしたい人は、目が覚めてすぐにノートに書いておけば、そのあと何度も読み返せて、その経験と記憶を定着させるチャンスにもできます。

 

 

神様からのメッセージとは、まるで子どものころに曾祖父母が話してくれたような内容や団らんに近い雰囲気です。

 

 

もちろん、本当に曾祖父母が来てくれたり、他のおじいちゃんたちが来てくれて、生きていたときと同じように接してくれたり、語りかけてくれることもあります。

 

 

でも、あのころと違うのは、絶対に100%の肯定をくれないこと。

 

 

それはこの世のことわりを理解し、一人前の魂として接してくれているから。

 

 

それでも悲壮感や厳しさはありません。

 

 

だって、「ちょこっと頑張れば私にもできること」を話し合うのが、神様方とのあの世での魂会議だからです。

 

 

 

 
今日も最後までありがとうございました。
 
 
 

 

 

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