おじいちゃんの旅立ちは、「最期のご挨拶」あたりにまとめています。
おじいちゃんは供養が滞ることはないですし、
気づいてくれる人もいますから、言いたいことが伝わらないもどかしさを持つことも少ないです。
そして今回は命日のあとに来ていて、誰かが月命日をしてくれたお礼に来たというのが分かりました。
供養は誰かがしてくれれば、それで大丈夫。
そのお礼は、供養をしてくれた人だけでなく、一族みんなのところに来てくれます。
供養のお礼に行っても、気づく人、気づかない人がいます。
お礼に来たその瞬間に気づける人もいれば、その日の晩に夢の中で感じ取れたり、家族との会話で「そういえば」と霧が晴れるように思い出すこともあります。
気づき方や、気づけるかどうかも、その日の調子によって変わるので、たとえ気づけないことがあったとしても、
「自分にだけ来てもらえなかった」とか、「気づけなかった」と、がっかりすることはありません。
私たちには体や心があり、その霊性の不安定さは、あの世の方々なら誰もが知っていること。
ですから、この世の人間同士のトラブルを当てはめておもんばかり、ぐるぐると思いを巡らさなくても大丈夫で、あの世の人に誤解されることはありません。
むしろ、その日の調子で気づけなかっただけなのに、自分自身にがっかりしたり、追い詰める、焦る、気づけた人を羨むなど、
信仰心をしゅんと萎ませるようなことはしなくて良いんだよ、とも思われています。
もう一度言いますが、既読無視や既読スルーされたなどという、
この世の人間同士の誤解やいざこざや争いは、成仏した世界にはありません。
近々、母に電話することがあれば、「おじいちゃん来てたよ」と伝えようと思います。
さて、話は変わりまして、先日のあじさいリーディングは、みなさんいかがでしたか?
大切なのはリーディング結果から、「あなたがどう思ったか?」のほう。
「耳がいたい」「後ろめたい」
神様からのメッセージは、耳心地の良いことばかりではなくて、こういう心の奥に触れるものが多いです。
リーディングの言葉そのものというより、ご自身の「心当たり」のほうにフォーカスし、
「では、どうするのか?」「どのような形にすれば活かせるのか?」というのを、神様はじっと見つめられているのです。
私の夫は、④を選んだそう。
夫は「そうだよね。思い返すと10時くらいに、一回眠気が来てる。
それを無視して、やりたいことや仕事をしてしまって、体のベストなタイミングを逃している。」と言いました。
そして、「あじさい占いの通り、今日は早寝しよう」と言いました。(え、占い?・Д・)
早寝するためには、早い時間に夜ごはんを食べて、お腹を落ち着かせて、入浴後に熱を冷ますなど、
体の調子を整えないと寝つけませんから、必然的に子どものような規則正しい暮らしになります。
即実行は、太宰府の神様仕込み。
神様から愛されている夫は、こういうところは素直に受け入れ、改めるべきは改めて、実践してみます。
すると自分の心や体、運気や周囲に起こる変化を「本当だ!」と実感し、さらに好循環につなげています。
神様に愛される人の共通点は、素直さ。
チャネリングやリーディングができるかどうかや、見えるかどうかは関係なく、
神様に居心地が良いと思われる、見ていてさっぱりしていて、ほっこり癒されるような、清い部分を持っているのです。