みなさん、こんにちは。
 
 
ある夕方、夜ごはんを作ろうと台所に立ち、ナスを洗っていたときのことです。
 
 
台所や食材、水道の匂いではない香りが、一瞬だけ通り過ぎました。
 
 
それは父方の祖父の、生前の肉体や書斎の匂いで、
 
 
「あぁ、星になったおじいちゃんの命日が近いな」と思い出しました。
 
 
それと同時に、その祖父の旅立ちの前後に私の身の回りで起こった色々なことや、
 
 
おじいちゃんのご厚意で学んだ、この世の旅立ちの一連の流れを見せてもらった記憶も、昨日のことのように浮かび上がりました。

 

 

おじいちゃんの旅立ちは、「最期のご挨拶」あたりにまとめています。

 

 

おじいちゃんは供養が滞ることはないですし、

 

 

気づいてくれる人もいますから、言いたいことが伝わらないもどかしさを持つことも少ないです。

 

 

そして今回は命日のあとに来ていて、誰かが月命日をしてくれたお礼に来たというのが分かりました。

 

 

供養は誰かがしてくれれば、それで大丈夫。

 

 

そのお礼は、供養をしてくれた人だけでなく、一族みんなのところに来てくれます。

 

 

供養のお礼に行っても、気づく人、気づかない人がいます。

 

 

お礼に来たその瞬間に気づける人もいれば、その日の晩に夢の中で感じ取れたり、家族との会話で「そういえば」と霧が晴れるように思い出すこともあります。

 

 

気づき方や、気づけるかどうかも、その日の調子によって変わるので、たとえ気づけないことがあったとしても、

 

 

「自分にだけ来てもらえなかった」とか、「気づけなかった」と、がっかりすることはありません。

 

 

私たちには体や心があり、その霊性の不安定さは、あの世の方々なら誰もが知っていること。

 

 

ですから、この世の人間同士のトラブルを当てはめておもんばかり、ぐるぐると思いを巡らさなくても大丈夫で、あの世の人に誤解されることはありません。

 

 

むしろ、その日の調子で気づけなかっただけなのに、自分自身にがっかりしたり、追い詰める、焦る、気づけた人を羨むなど、

 

 

信仰心をしゅんと萎ませるようなことはしなくて良いんだよ、とも思われています。

 

 

もう一度言いますが、既読無視や既読スルーされたなどという、

 

 

この世の人間同士の誤解やいざこざや争いは、成仏した世界にはありません。

 

 

近々、母に電話することがあれば、「おじいちゃん来てたよ」と伝えようと思います。

 

 

さて、話は変わりまして、先日のあじさいリーディングは、みなさんいかがでしたか?

 

 

大切なのはリーディング結果から、「あなたがどう思ったか?」のほう。

 

 

「耳がいたい」「後ろめたい」

 

 

神様からのメッセージは、耳心地の良いことばかりではなくて、こういう心の奥に触れるものが多いです。

 

 

リーディングの言葉そのものというより、ご自身の「心当たり」のほうにフォーカスし、

 

 

「では、どうするのか?」「どのような形にすれば活かせるのか?」というのを、神様はじっと見つめられているのです。

 

 

私の夫は、④を選んだそう。

 

 

夫は「そうだよね。思い返すと10時くらいに、一回眠気が来てる。

 

 

それを無視して、やりたいことや仕事をしてしまって、体のベストなタイミングを逃している。」と言いました。

 

 

そして、「あじさい占いの通り、今日は早寝しよう」と言いました。(え、占い?・Д・)

 

 

早寝するためには、早い時間に夜ごはんを食べて、お腹を落ち着かせて、入浴後に熱を冷ますなど、

 

 

体の調子を整えないと寝つけませんから、必然的に子どものような規則正しい暮らしになります。

 

 

即実行は、太宰府の神様仕込み。

 

 

神様から愛されている夫は、こういうところは素直に受け入れ、改めるべきは改めて、実践してみます。

 

 

すると自分の心や体、運気や周囲に起こる変化を「本当だ!」と実感し、さらに好循環につなげています。

 

 

神様に愛される人の共通点は、素直さ。

 

 

チャネリングやリーディングができるかどうかや、見えるかどうかは関係なく、

 

 

神様に居心地が良いと思われる、見ていてさっぱりしていて、ほっこり癒されるような、清い部分を持っているのです。

 

 

 

 
今日も最後までありがとうございました。