ある夜のことでした。
いつものように寝室の、自分のお布団に入ったとき、久しぶりの「ぞくり」に胸が跳ね上がりました。
チャンネルを合わせたくないので、「ぞくり」の方向には意識を向けないようにしながら、
「気がつかないふりのまま、眠れないかな」と淡い期待をしながら、目を閉じました。
すると、目が合うんです。
ぱっつんの前髪の日本人形さんと。
しょうがないので、目を開けて、少しだけ意識を向けると、
その日本人形と同じ髪型の女の子が、お人形を持ったまま、こちらを見ていました。
昼間のうちにどこかからついてきてしまったようですが、簡単に離れてはくれなさそうな雰囲気。
それは恨みや悲しみを持つのではなく、少し交戦的な雰囲気を醸しているから。
簡単に離れてくれるようないわゆる未成仏霊は、私への執着というより、この世や自分自身への執着や思いが強いです。
そしてその姿は、私には淡い緑や青の色味を帯びて見えていて、ちょっぴり透けてもいます。
そういう未成仏期間の浅い存在と、この少女と人形は違います。
交戦的で、目を逸らさない、そして色が黒々とはっきりしている。
あやかしのほうへ強烈に陰っているのです。
何度か目を開けたり閉じたり試しましたが、まぶたを閉じると無理やり目を合わせてきて、こちらが降参するまで眠らせてくれないみたい。
なので、お不動さんの真言を唱えました。
半眼や目を閉じると少女と同調することになり、危険だと判断したため、目を開けたまま。
やはり一回唱えただけでは離れてくれなくて、繰り返し唱えつづけました。
「これはお不動さんに来てもらうことになるだろうな」と思いながら、さらに深く仏様と同調することにしました。
仏様が来てくれるかどうかは、人間の危険度を見極めて仏様が判断します。
同調できるかどうかや、チャネリングができるかどうかは関係ありません。
今回は相手が邪悪なので、おそらくお不動さんが来てくれるだろうと確信があったのと、
「どんなふうに払うのか見たい」という下心もちょっぴりありました。
仏様が「見せない」と判断されたら見せてもらえないので、チャレンジだけはしてみました。
仏様と深く同調するときは、「ご縁と真言を頂いた仏様」を思い浮かべるようにします。
ご縁と真言を頂いたお不動さんのお堂、祭壇、護摩火、護摩行の雰囲気、匂い、音、それから仏像の姿などを思い出します。
どの情報から深くつながれるのかは、その仏様ごとに違いますし、私たちの体質やご縁の形でも違います。
ご本尊が見えにくように飾られている暗いお堂の仏様であれば、仏像は見えなくて覚えられないので、その雰囲気や煙たさや暗さなどを思い出すようにします。
私は仏像をしっかりと見て覚えているので、お不動さんのお顔を思い浮かべようとしました。
すると私の霊視の領域に、「日本人形」のお顔が占領して、つながれないように邪魔をします。
その間も真言はずっと唱えていて、ふとしたときにお不動さんとのつながりがピンと太くなり、少女が弾かれる瞬間がありました。
すると、霊視の領域はお不動さんの祭壇と仏像があらわれ、お不動さんの波動で満たされていきます。
気づけば、わが家の寝室も仏様の世界と重なり、お不動さんが来て下さっていたのです。
お不動さんは剣ではなく、火を少女へ向けて放ちました。
少女は逃げる様子はなく、お不動さんにも交戦的な様子でした。
仏様の光を恐れないほどに、闇に傾いているのです。
お不動さんの火は、仏様空間の黒い地面に落ちたように見えました。
しかしその火は少女の「影」を焼きました。
その影がすすだらけになり、ぼろぼろと砂のように崩れたのが見えた瞬間に、少女と日本人形がいなくなっているのが分かりました。
除霊や浄霊をしたのではなく、存在を消したのでもなく、
「仏への恐れを学ばせて、少し驚かせて離れさせた」とお不動さんは教えてくれました。
さらに影を焼くのには、もう一つの意味がありました。
人と人、魂と魂は、「縁」というつながりがあります。
ですが、私と少女の間にはまだ「縁」ほどのつながりはなかったそうです。
ですが、ついてきたということは、この家と私のことを覚えているので、追い払うだけでは「道」を辿ればまた戻って来れます。
「道」を断つには火が有効なので、影を焼き、関わりを完全に絶ったそうです。
ヒーローものや巷では、悪は完全に断つ習わしがありますが、あの世は少し違います。
戒めには段階があります。
少女ももとは光の魂であって、公正の余地もあれば、闇に落ちる自由もあります。
だからと言って、私たちが「かわいそう」と同情するのもまた、
低次に同調し、自分の命を粗末にする行いとなり、やはりそれも道理に反します。
私たちは相手の理由やその後を気にしなくて良い、それは仏様にお任せなのです。