「私は子どもたちが、きらきらと生きる姿を見るのが、何より嬉しい。
生きてるとな、色々ある。
だがな、それすらも、尊くて、有難い、奇跡なんだ。
私はいつも、みんなを見守っている。」
おじいちゃんはこちらに降りて来られると、いつも「見守っている。」と、何度も、何度も言ってくれます。
私の母はもやもやが溜まると、ときどき一人でふらりとおじいちゃんのお墓へ行き、色々と話してすっきりして帰ってくることがあります。
私はあまりおすすめしませんが、母は体質に恵まれているようで、トラブルを抱えてこないので、そっとしています。
あるとき母は、やはりふらりとおじいちゃんのお墓へ行き、色々と話したあと「子どもたちを見守っててね。」と言ったそうです。
そのあと、おじいちゃんは私のほうにあらわれ「見守っている、とお母さんに伝えて。」と言いました。
おじいちゃんはわざわざお願いされなくても、いつも見守ってくれていますが、
そのときの母は、人生で少しばかり体がしんどく、気持ちの落ち込む時期だったみたい。
「ちゃんと伝えてあげたい」「知っていてほしい」、そうすることで母自身の力になる、とおじいちゃんは考えたよう。
生きる私たちの思いはとても強くて、見える見えない関係なく、あの世へ届いています。
そのエネルギーは色とりどりの輝きで、あの世の方々にとって、とても力に満ち溢れているそうです。
それはわざわざお金を払って何かをするではなく、ときどき故人との思い出を懐かしむとか、思い出すので良いんです。
あの世の人は体とのつながりが途切れた瞬間から、この世から遠くなりますが、
この世から思い出してもらえると、この世とのつながりが少しだけ濃くなります。
だからただ、「知ってほしい」と言います。
さすれば思いはさらに力となり、感じる感じないに関わらず、あの世からの愛情も素直に受け取れている、と。