みなさん、こんにちは。
 
 
私の母方のおじいちゃんは、私が小さなころにあの世へ帰られました。
 
 
魂の供養にかかる時間は人によって様々で、必ずしも、この世の年忌とは一致しないことがあります。
 
 
私が知っている範囲では、そういう区切りよりも早く、次の段階へ行かれる方が多いような気がしています。
 
 
もちろんこの世からの後押しがあれば、どの段階にいても魂はきちんと受け取られています。
 
 
母方のおじいちゃんも、だんだんとこの世との関わり方が変わってきていますが、
 
 
この世には、おじいちゃんと絆のある私たちがいますから、母方のご先祖様の一番先頭で私たちを見守る役割はつづいています。
 
 
あるとき、おじいちゃんはこのような話をしてくれました。
 

 

「私は子どもたちが、きらきらと生きる姿を見るのが、何より嬉しい。

 

 

生きてるとな、色々ある。

 

 

だがな、それすらも、尊くて、有難い、奇跡なんだ。

 

 

私はいつも、みんなを見守っている。」

 

 

おじいちゃんはこちらに降りて来られると、いつも「見守っている。」と、何度も、何度も言ってくれます。

 

 

 

私の母はもやもやが溜まると、ときどき一人でふらりとおじいちゃんのお墓へ行き、色々と話してすっきりして帰ってくることがあります。

 

 

私はあまりおすすめしませんが、母は体質に恵まれているようで、トラブルを抱えてこないので、そっとしています。

 

 

あるとき母は、やはりふらりとおじいちゃんのお墓へ行き、色々と話したあと「子どもたちを見守っててね。」と言ったそうです。

 

 

そのあと、おじいちゃんは私のほうにあらわれ「見守っている、とお母さんに伝えて。」と言いました。

 

 

おじいちゃんはわざわざお願いされなくても、いつも見守ってくれていますが、

 

 

そのときの母は、人生で少しばかり体がしんどく、気持ちの落ち込む時期だったみたい。

 

 

「ちゃんと伝えてあげたい」「知っていてほしい」、そうすることで母自身の力になる、とおじいちゃんは考えたよう。

 

 

生きる私たちの思いはとても強くて、見える見えない関係なく、あの世へ届いています。

 

 

そのエネルギーは色とりどりの輝きで、あの世の方々にとって、とても力に満ち溢れているそうです。

 

 

それはわざわざお金を払って何かをするではなく、ときどき故人との思い出を懐かしむとか、思い出すので良いんです。

 

 

あの世の人は体とのつながりが途切れた瞬間から、この世から遠くなりますが、

 

 

この世から思い出してもらえると、この世とのつながりが少しだけ濃くなります。

 

 

だからただ、「知ってほしい」と言います。

 

 

さすれば思いはさらに力となり、感じる感じないに関わらず、あの世からの愛情も素直に受け取れている、と。

 

 

 

 
今日も最後までありがとうございました。