星になった父方祖父のお話です。
生前の父方のおじいちゃんは、母方のようなスピリチュアルな出来事とは無縁でしたが、神棚やお墓のお世話はされている普通のおじいちゃんだったと思います。
おじいちゃんと私の母には、信仰心の行き違いからのわだかまりが一つだけありました。
お舅と嫁という立場や、当時の時代背景もあったと思います。
そのわだかまりは人生でよくある小さな出来事の一つとして流されましたが、実は魂となられたおじいちゃんはそれはとても大事なことだったと、あの世の人になって改めて考えさせられたと言います。
おじいちゃんのお葬式のあとに、魂となったおじいちゃんは自分の黄泉路へ向き合いながら、ぽつりぽつりと言いました。
お葬式が終わり四十九日の道のりへ入ると、この世を振り返ることはできません。
厳密に言えば、振り向こうと思えば振り向くことはできますが、この世を見てしまうと「帰りたい」という気持ちを思い出してしまい、多くの人は決意が揺らいで成仏できなくなることがあります。
亡くなった人は魂の存在となった瞬間にその理(ことわり)を思い出すので、ご自身の意志をぐっと強く持たれ、よそ見をすることなく、黄泉路の先だけを見つめて歩まれます。
その道のりではこの世のことを思い出したり、味わいながら、ご自身が亡くなったことをゆっくりと受け入れて行きます。
その過程やスピードは人それぞれで、ゆっくりゆっくりと噛みしめる人もいれば、さっさと駆け足でこの世にさよならする人もいます。
おじいちゃんは、魂が体から離れる瞬間に走馬灯を見ました。
それは生きていたおじいちゃんの目線のものと、魂の記憶とが重なっていたと言います。
人間でいるときは忘れていることがあったり、当時の感動の高さが薄らいでいても、魂の人となればその当時のままに鮮明に思い出せます。
その中にはおばあちゃんと結婚したときのことや、生まれた私を初めて抱いたときのこともありました。
それらの思い出には、人間のおじいちゃんからは見えていなかった、魂の広い視野から見えていた本当の事情や理由がたくさんあることも知りました。
私や母がおじいちゃんに内緒にしていたスピリチュアルなことも知ったし、母とのわだかまりの絡まりの理由も知ったと言いました。
人間は、自分の目線でしか物ごとを見つめることはできません。
その人の立場での視野や疑いや感情のフィルターを通してしまうと、事実がゆがみ、誤解や思い違いが起こることもあります。
しかし、魂はそういう人間の事情を取っ払った、魂の大きな視野で清く物ごとを見ています。
そういう人間同士の誤解や行き違い、感情のフィルターを取っ払い、絡まりのない状態で物事を見定めると、今までとは違う事実が見えて来ました。
魂となった瞬間に、それらを一気に知った魂の存在となったおじいちゃんは、母に「あの時は悪かったなぁ。」とぽつりと言いました。
もちろん黄泉の道のりを歩いていますから、「後ろは振り向けないけど、あかねと母(私の母)が来てくれたことはちゃんと分かっている。」とおじいちゃんは前を向いたまま言いました。
この世を離れる人も、残る人も、色々な事情や思いを持たれると思います。
ですが、魂となればみなさん誰もが真実を知ることができます。
後悔や誤解も、あの世の人は曇りなく理解して下さっています。