徒然脳内徘徊。そのに | 世界を根底からひっくり返してその渦に巻き込まれて死んだ。

世界を根底からひっくり返してその渦に巻き込まれて死んだ。

しょーもないことがわらわらわらわら。
しょーもない俺がわらわらわらわら。
しょーもないお前がわらわらわらわら。
さてどうすっか。
ねるか。

寒いわ年の瀬だわお金はないわ、どうもテボリューションです。
基本的にないものしかない。逆にないものだけはたくさんある。これぞ無知の知スタイル!
調子乗りましたすいません。
ソクラテスに呪われそう。逆にソクラテスに呪われたらたいしたもんなんじゃないか!?
調子乗りましたすいません。



さて徒然脳内徘徊シリーズそのに。
お題「生と死について」 ババン!
このシリーズはだいたいこういうしょーもないお題になります。


生と死について、というとだいぶふわっとするので、もうちょっと具体的にすると「なぜ自殺しては
いけないのか」
なぜ自殺してはいけないのか、というよりはなぜテボは自殺しないのか、かね。
自分が自殺しない理由を他人様に押し付ける気はないので。


ぶっちゃけ、この世界は生き辛いもんで、悲しいこと、辛いこと、腹の立つこと、許せないこと、いっぱいあります。日々俺のサン値は削られっぱなしで、それを補うほどのイイコトもなく、生きてりゃイイコトあるだろうって希望に縋る体力しか基本的に残されてません。まぁ逆に言えば何がなんでも生き残りたい!と思うほど辛いこともないわけなんだが。

まぁとにかくそんなもんで、生きていたいから生きるんだ!と胸張って言えるような人生でもない、と。

したらば生きてる必要なくね?という話なわけですよ。
実際のとこ、テボもそう思います。ちょっとここ救いなさすぎね?と。


じゃなんで死なないかというと、
死ぬ価値が自分にないから、です。

死ぬってのは、これはえらいことですよ。
生き物が死ぬことによって巻き起こるエネルギーっちうのは膨大です。
なんたって死んで食われることによって誰かを生かせるんだからね。
食われなくても周囲に与える影響はすごい。
社会的にもすごいのでいくと、後追いが出たり、でかい組織がてんやわんやしたり、下手すっと国が転覆したり。
もっとふつーなところでも、死んだ奴の知り合いがわさわさ集まったり、悲しんだり泣いたり、愛し愛されていた誰かが絶望したり。
死んだ後、食われて誰かのエネルギーになれりゃ一番死んだ甲斐があるとは思うけど、
そんなもん辛すぎて食えないよ!って大泣きされるなら、それはそれでなんだかがんばって生きてきて死んだ甲斐があるなぁと思います。
それぐらい、死ぬってのは偉大で、恐ろしい。

別に今死んだところで誰も悲しんでくれないと思っているわけではないんだけど、
その喜びや達成感を享受する資格はまだ自分にはないな、という気がするんですな。
そんな気がする、というのは生きていく上でテボ的に一番大事な要素。
頭で考えてもわちゃわちゃしてしまうときは、とにかく感じていることを優先します。


もちろん生きるということも大変なエネルギーを生み出すわけですが、
かと言ってじゃあ自分に生きている価値がないか、というと、
それはちょっとわかんない。
ある!と言い切れはしないけども、ない!とも言い切れない。
言い切れないと思いたい(笑)

でも死ぬ価値はない、と思うので、
訪れるのかどうかもわからない「自分に死ぬ価値を見出す日」を夢見て、
未だにだらだらと地べたを這いつくばっておるわけだなぁ、と、
編み物しながら思った冬の日なのでした。おわり。


あ、そうだ。
なんだかんだ言ってやっぱり、自分が死んだ後誰かの生に加担できたら一番嬉しいので、
死んだ俺を誰かが泣きながら食べてくれたりするとテボは大変喜びます。よろしう。