私は、面白い本にであったら、感銘をうけた箇所を朗読して人に聞かせたい癖があります。
澤田智洋著「人生にコンセプトを」は、最近読んだ本の中でいちばん、新しい学びが得られた本でした。
同じリビングにいる旦那に向かって、朗読の声が止まりません。
25年7月に刊行されたばかりの本です
夢に向かって努力する人の姿は、美しいですよね。では、特に将来の夢がないという人は、どうしたら良いんでしょうか。無理やりにでも、夢を持たないといけないのでしょうか?
著者は、予測不能な変化の激しいこの時代において、夢を持つことの弊害を指摘します。そして、夢がなくても大丈夫!と背中を押してくれます。
夢の代わりに、自分の支えになるものが、「コンセプト」です。
夢が、目指すゴールなら、コンセプトは今歩いている道。自分がなぜこの道を歩いているのか、説明できる拠り所です。
私は学生の頃から、将来の夢は?と聞かれるたびにいつもモヤモヤとしていました。
夢とか、ないし。かといって、漫然と生きてる訳じゃない。やりたい事、やりたくない事はあるし、そのための努力はしている。でもそれって、夢を叶える、とかいうのとはちょっと違う。
明日死んでもよい。そう考えて生きてます。
高校生の頃、頭に浮かんだ「死の直前まではまだ生きている」という言葉。この言葉は今も自分の支えになっています。
本を読んで、この言葉は私の人生観についてのコンセプトなんだと理解しました。私には、人生の夢はない。代わりに、コンセプトがある。
子育てのゴール=夢を設定することについても、同じ違和感を感じてます。
偏差値の高い大学に入れたいとか。私立に入れて恵まれた友人関係を作らせたいとか。
そりゃあ、全てそうなったら良いと思うし。子供の成功を望まない親はいない。でも、そういう子育ての「夢」的な願望には、望む結果が得られなかったら失敗なのか?という負の側面がついてきます。
私の子育てのコンセプトは、まだ言語化できてません。言語化できないのは、迷っている証拠ですね。まだ荒削りですが、「心身頭ともに健康に」と考えています。
子供に接するとき、ルールを決めるとき、子供の身体や、心や、頭にとって、健康なことだろうか?と常に振り返るようにしています。
例えば、どれだけ子供がクリエイティブな作業に熱中していても、消灯時間は夜9時、というように。
うちでは、身体の健康が、心・頭の健康よりも優先順位が高いので!
「人生の夢は?」と迫ってくる世間。それに対抗して、「コンセプト」という道を開いた筆者に感謝。
夢はないけどコンセプトはありますって、これから返せるようになりますね。
子供たちにもこれからは、将来やりたいことは?と聞くのではなく、どんな風に生きていきたい?と聞くようにします。