人生は人生ゲーム ルーレットを回すのは自分だが、どのマスに止まるかは運次第
私は看護師の仕事を30年以上続けているので、人生ゲームで言えば、ゴールがちらちらと見え隠れしている段階だ。学生の頃は実習がつらく、国家資格が取れたら「こんな業界とは、おさらばだ」と思っていた。しかし資格を取ると、活かさないともったいないと思い立ち、田舎の総合病院に就職した。配属された病棟には勤続数十年のベテラン看護師がいて、私は3年ぶりに配属された新人だった。はじめは仕事をこなすことで精一杯だったが、ある程度できるようになると、「私はこの仕事に向いているのだろうか?」という不安にさいなまれることが多くなった。そもそも、人の役に立ちたい、困っている人を助けたい、といった高尚な理由ではなく、年齢を重ねても安定して働けそうだという打算で選んだ仕事だったからだ。夜勤の休憩時間、私は「この先輩なら心を開いても大丈夫な気がする」と思い、「この仕事に向いているかどうか考えると不安になる」と話した。すると先輩は、「私、この仕事を始めて20年だけど、向いているかなんて分からないよ。分かるのは、できるかできないか、やりたいかやりたくないかだけだよ」と答えた。20年働いても分からないことを、2年そこらの私が悩んでも仕方がない。できることをやっていくしかないのだと、妙に納得し、心が軽くなった。また、先輩にこんなことを話したこともある。患者さんのおむつ交換をしたとき、「あんた若いのに、こんな仕事してかわいそうに。私の孫にはやらせられないよ」と言われ、とてもショックだったと打ち明けた。すると慰めるでもなく、「そうですね。あなたのお孫さんには務まりませんね、って言ってあげればいい」と言われた。それ以来、同じようなことを言われるたびに、心の中ではっきりと「そんなことを言う、あなたのお孫さんには務まりませんね」とつぶやくようになった。そう思うたびに、「この仕事は誰にでもできる仕事じゃない」と思えるようになっていった。新人の私には、弱さや未熟さを共有できる同期はいなかった。けれど、私よりはるか先を行く先輩たちの、厳しくも温かい言葉に支えられていた。そうこうしているうちに数年がたち、できることが増え、「この仕事、面白いかも」と思えるようになった。なかなかはまりの悪かった“看護師のペルソナ”が、ようやくしっくりはまった気がした。そして結婚を機に総合病院を辞め、夜勤のない仕事を求め、介護系の看護の仕事に就いた。これまで看護助手として、指示を素直に受け取ってくれていた介護職たちは、「私たち、対等ですよね」と言い、ちっとも言うことを聞いてくれなかった。私はそれを、自分を否定されたように感じ、正直まいっていた。そんなとき、偶然知り合った精神科の医師から、「うつ病のデイケアを始めるけど、来ない? 座っているだけでいいから」と甘い言葉に誘われ、やってみることにした。そこでは、うつ病で休職中の方向けに心理プログラムが提供されていた。心理プログラムに触れることで、介護職や利用者との関係がうまくいかないとき、自分自身の思考の癖が影響していることに気づくことができた。数年かけて染みついた病院での価値観とは違う考え方に触れたとき、それまで正しいと思っていた大切なことを否定されたように感じていたのだ。しかし、この広い世界にはさまざまな価値観があり、それはどれも正しい。まずは、自分と違う考えを受け入れること。それが何より大切だった。今では、よほどのことがない限り、「こんなこともある」と本当に思えるようになった。介護職との関係は、介護も看護も分け隔てなく同じように仕事をすることで人間関係が改善し、看護師としての立ち位置が、揺るがないものになることを経験できた。私は、デイケアで出会った、信頼できるカウンセラーが提供する心理プログラムに、本当に救われた。心理プログラムの学びは、入居者やその家族との関わりにも活かされている。老人ホームに入居した方の中には、 数年にわたってそこで暮らす人もいる。場合によっては、自分の親より長く一緒に過ごすこともある。もはや他人とは思えない関係性が築かれていく。そんな濃密な人間関係の中で、程よい距離感を保てるかどうかが重要になる。どんな利用者にも平等に愛情を注ぎ、見返りを一切求めない人もいるだろう。けれど私は、人として相性もあれば、好き嫌いもある。愛情の裏返しは憎悪ではなく、無関心だ。愛情が深ければ、憎悪も深くなる。「何か特別なことをしてあげたい」と思ったときほど、注意が必要だ。無意識のうちに、感謝や特別な反応を期待してしまうからだ。期待した反応が得られなかったとき、その感情は落胆や怒りに変わる。それが行き過ぎれば、虐待という行動に至ることもある。私は、なかなか達成できないが、利用者に対して「好きでも嫌いでもない」状態を保てるよう、感情をコントロールすることを目標にしている。打ち上げ花火ではなく、線香花火のような愛情を注ぐこと。それが、ケアワークを長く続ける秘訣かもしれない。老人ホームには、入居者だけでなく、その家族と関わることになる場面も多い。高齢の方が、街頭インタビューで「子どもに迷惑をかけたくない」と言っているのをよく耳にする。老人ホームに入って「これで迷惑をかけずに済む」と喜ぶのかと思いきや、「家族に会いたい」「電話したい」と訴える人の方が多い。きっと本心は、「迷惑をかけたくない」ではなく、「私の世話を、迷惑だと思わないでほしい」なのだと思う。一方、家族も施設の対応に対して、些細なことで要望を訴えることがある。「そんなに大事なら、自分で世話をすればいいのに」と、何度心の中でつぶやいたかわからない。しかし本心は、「親は大事だけれど、自分で世話をしたいとは思えない」なのだと思う。家族は、好きと嫌いのはざまで、何十年も揺れ動いている。昨日今日出会った私には、計り知れない時間だ。そこには良いも悪いもなく、ただそのように生きてきただけなのだと、受け入れたいと思っている。私がいる老人ホームでは、入職して間もないうちに「この仕事はつまらない」と言って辞めていく人がいる。しかしお年寄りのお世話を長く続けて思うのは、3年15年30年と、見える景色はまったく違うということだ。はじめは家族を批判する気持ちが湧くことも多かった。けれど自分も結婚し、祖母を見送り、家族の立場になって初めて分かったことがある。また、これだけ多くの家族の葛藤を見聞きしていると、自分の身内に何か起こっても、少々のことでは驚かなくなる。仕事の経験が、自分の人生に深みを与えてくれるのだ。お年寄りの世話をする仕事をしていて、続けるか迷っている人には、「やってみたい」「できるかもしれない」と思えるうちは、ぜひ続けてほしいと思う。私自身はこれからも、ルーレットを思い切り回し、止まったマスを味わいながら、淡々とこの仕事をゴールまで続けていきたいと思っている。#KAIGOLEADERSSCHOOL #ライティング講座