積極的信仰心~磨き続ける力~
同様に「信仰心」というものも自ずからあるものではありません。
自らが培うものです。
私はこれを勝手に「積極的信仰心」と呼んでいます。
私たちが日々、神棚や神社で神様に手を合わせる理由は、自らの信仰心を磨き続けることにあります。
それは「感じる心」を目指しての「日課」です。
信仰心というのは、それを信じたからバラ色の人生になるということではありません。
特に神道では「回心」というような一瞬の変化を遂げるような思想はなく、信仰し続ける状態、その心の状態にこそ価値をおいています。
信仰心のみならず、毎日の積み重ねや、日々の努力はその道を極めることになります。極めるとは結果や成績、技術面などの外面的なものではなく、精神面に大きく関わる内面的なものなのです。
内面的なものを磨き続け、極めると、あらゆる道においてそれは通ずることになります。