1914年の3月8日、東京・上野で開催された大正博覧会にて、日本初のエスカレーターがその産声を上げました。当時の人々にとって、地面が勝手に動き出し、自分を高いところへと運んでくれるこの装置は、まさに魔法か未知のモンスターに遭遇したかのような衝撃だったに違いありません。この初号機は、現在の東京大学の裏手にあった「第二会場」から「第一会場」へと通じる斜面に設置されましたが、その速度は分速約18メートル、秒速に直すとわずか30センチほど。現代の標準的なエスカレーターと比べればかなりおっとりとしたスピードでしたが、それでも当時は「動く階段」という概念自体が恐怖の対象でもありました。

 

さらに、日本初のエスカレーターが有料だったという事実は、現代の感覚からすると驚きです。

実は当時の「垂直移動」はすべてが特別なアトラクションでした。大正博覧会でエスカレーターが1回10銭という、かけそば2杯分以上の高価な料金設定だった一方で、実はそれより以前に登場していたエレベーターもまた、破格の「乗車料」を取る贅沢品だったのです。日本で初めて電動式エレベーターが設置されたのは、1890年に浅草に完成した地上12階建ての超高層ビル「凌雲閣」でした。

 

この「浅草十二階」と呼ばれた塔でエレベーターに乗るための料金は、なんと当時の物価で大人1銭。現在の価値に換算すると数百円程度に相当しますが、当時は入閣料(入場料)が別に必要だったため、エレベーターに乗ること自体が一種のステータスシンボルでした。木製の重厚なカゴがガタガタと音を立てて上昇していく様子は、現代の静かなリフトとは対照的で、乗客は手に汗握りながら上空からの絶景を目指したといいます。

 

しかし、このエレベーターは故障が相次ぎ、わずか半年ほどで運転中止に追い込まれるという悲運に見舞われました。そのため、後から登場したエスカレーターの「有料で動く階段」という新しさには、当時の人々も「今度こそは止まらない魔法の乗り物か」と期待を寄せて財布の紐を緩めたのかもしれません。

現代ではタダで当たり前に利用している上下移動が、かつては散髪代や食事代を天秤にかけてまで体験したい「空への冒険」だったと思うと、駅のホームでエスカレーターを待つ時間も少しだけ贅沢に感じられそうです。