『上野殿御返事』1217㌻ 御書解説(大白法より) | 新興宗教創価学会には、三宝が ひとつもありません。私はヤングミセス支部責任者でした。罪障消滅のため敢えて発信します。

新興宗教創価学会には、三宝が ひとつもありません。私はヤングミセス支部責任者でした。罪障消滅のため敢えて発信します。

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平成3年に日蓮正宗から教義逸脱等の背信行為により 破門され、今では 仏教的・平和主義的・人道主義的等の雰囲気を持つ 政治的な営利団体へと 変貌しました。
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御書解説 ― 背景と大意


上野殿御返事(御書 1217頁)

一、御述作の背景

 本抄は 弘安元年(一二七八年)四月一日、

日蓮大聖人様が 御歳五十七歳のときに身延でお認めになられ、大石寺の開基檀那である 上野殿に与えられた御消息です。

 御真筆は現存していませんが、日興上人の写本が大石寺に所蔵されています。


対 告 衆


 上野殿(南条七郎次郎時光)は 五、六才のときに 父の南条兵衛七郎とともに 大聖人様に帰依されました。幼年時に父君と死別しましたが、様々な苦難や迫害にも 屈することなく、仏道修行に精進され、身延の大聖人様には 常に真心のこもった御供養を捧げました。生涯堅固な護法の念を持ち続け、純粋な信仰を貫き通した大檀越です。

 とくに弘安二年(一二七九年)の熱原の法難に際しては、日興上人の指導のもと、信徒の中心者として 正法厳護の大任を果たされ、大聖人様から「上野賢人」との尊称をいただかれています。

 民部日向等の謗法により、日興上人が身延を離山あそばされたときは、自らの住む 駿河の国富士郡の上野郷にお迎えし、大石ケ原を寄進申し上げて、大石寺開創という、末法広宣流布の基礎構築に貢献されたのです。

 晩年は、「沙弥大行」と名乗られ、平穏で、恵まれた生活を送られました。


背 景


 日蓮大聖人様の御化導の究竟は、三大秘法総在 本門戒壇の大御本尊の御建立にあられたことは言うまでもありません。


 その御本懐を成就あそばされる時期について、前御法主日顕上人猊下は、

一に、立正安国論に予言された自界叛逆・西海侵逼の二難の惹起、

二に、大聖人様の御化導における御本尊の究竟の意義の御顕示、

三に、門下中からの「一心欲見仏・不自惜身命」の不退転の信行者の輩出 


という三条件が整って、大聖人様がその大事を決定され給う深意がある(昭和六十一年、霊宝虫払大法会の御説法中)旨、御指南あそばされています。


 この三条件の中で、一の自界叛逆・西海侵逼の二難は、文永九年に 鎌倉幕府に謀反があり、大聖人様が身延に入られた年、文永十一年十月に 第一回目の蒙古襲来があって、共に現実のものとなりました。二の御本尊の究竟の意義の御顕示は、御法主上人猊下の、「とくに 弘安以後…究竟の体相が 成就されたのであります」との御指南(同前)に明らかなごとく、すでに成就の時を迎えていました。そして最後の、門下中からの 不自惜身命の信行者の輩出とは、言うまでもなく 熱原の法難を指し、本抄御著述の弘安元年四月には、その端緒が 切って落とされていたのです。

 すなわち 建治年間からの、日興上人による富士南麓一帯の弘教はめざましく、熱原の神四郎、弥五郎、弥六郎などの入信があり、邪宗の族の 正法の僧俗への怨嫉は、極限に向かって 加速の一途をたどっていました。


 そうした時期ですから、日頃、富士周辺の信徒の棟梁と目されていた 上野殿に対し、大聖人様は 一層大きな御期待を寄せられていたにちがいありません。そこに本抄において、「石河の兵衛入道殿のひめ御前」の臨終唱題の姿を通して、末法の成仏得道は、ただ妙法に対する 純真無垢な信心に限ることを 強く御指南された所以があると申せましょう。

二、本抄の大意

 まず上野殿が、白米や芋などを 大聖人様に送られ、あわせて 石河兵衛入道の姫御前が死去したことと、その臨終の様子をお知らせ申し上げたことに対して、御供養のお礼と、姫御前が死を覚悟して、事前に便りを届けられていたことを述べられ、ついに死に至ったことを 悼まれています。

 石河兵衛入道とは、上野郷からは 東方に隣接する、重須郷の地頭・石川新兵衛源能助殿のことと推定されます。その夫人が 上野殿の姉で、大聖人様から『をもんすどのゝ女房御返事』(御書 1552頁)の宛て名で 御消息をいただいています。ですから本抄中の姫御前とは、上野殿の 姪にあたることになります。


 続いて大聖人様は、多くの者が 念仏によって極楽往生ができると固く信じているが、念仏とは釈尊自身が、「未だ真実を顕していない」、「正直に方便を捨てよ」と止められた 方便の教えであると破され、一切衆生に仏性ありと明かした大乗の中でも、釈尊自らが、過去(已)、現在(今)、未来(当)に説く経々の中で、法華経こそが 真実本懐の経であると断じていると述べられます。


 そして、法華経が 真実にして最勝の経であることは 多宝如来や十方分身諸仏が証明されているのだから、たとえ釈尊であっても、それをくつがえすことはできない。にもかかわらず、真言の善無畏や 禅宗の祖師たちは この御金言を破り、それを国中の人々も信じきって、正しい法を弘めている日蓮を 怨嫉し、迫害しているので、災いに災いが重なっているのであると述べられています。


 次いで、姫御前が 臨終に南無妙法蓮華経と唱えたのは まことに希有なことであり、その臨終正念の姿を示すことができたのは、ひとえに日蓮の法門が 正しい証拠であるとされています。


 加えて、弟子等の中で 法門を知ったかぶりしている者こそ、かえって 大きな間違いを犯している。南無妙法蓮華経は、法華経の肝心であり、これに 他の教えをならべることは 災いの根源である。末法では 余経も法華経も無益であって、ただ 寿量文底の南無妙法蓮華経以外に 成仏得道はなく、この正法たる 南無妙法蓮華経に 余事を交えることは 大なる邪義であると、繰り返し御教示されています。


 そして最後に、この義を 姫御前が自然に会得して、正しい信心を貫き通されたことはまことに尊いことである、と称賛されて本抄を結ばれています。

拝読のポイント

 本抄は 石河兵衛入道の姫御前が 臨終に唱題された姿を通して、末法の衆生にとって、ただ南無妙法蓮華経を 信じ唱えるところの「純一無雑」「無疑曰信」の信心こそが 大切であることを教誡されたところに、その主旨があると申せましょう。本抄の


 「南無妙法蓮華経と申すは 法華経の中の肝心、人の中の神(たましい)のごとし」

 「末法に入りぬれば 余経も法華経もせんなし。但 南無妙法蓮華経なるべし」


 との仰せを拝せば、我々末法の衆生は、外道・内道の 一切の教えを打ち捨て、ただ、日蓮大聖人御建立の 文底下種の南無妙法蓮華経のみが 唯一の即身成仏の大法であると確信し、帰依すべきなのです。


 ところが、いつの時代にも「法門しりたりげに候人人」がいて、この正法を 慢心から破っていく姿があることは、嘆かわしい限りです。特に最近、立正佼成会と手を結んだ、破門謗法教団の 創価学会などは、大聖人様の清浄な御法門に泥を塗り、更には 三大秘法・血脈相承という文底下種仏法の 根幹の教義を否定して、創価学会流の題目に改変しています。これなど本抄の


 「此れにものをならぶれば…禍のみなもと(源)なり」

 「此の南無妙妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆゝしき僻事なり」


 との仰せに まさに符合するものです。末法流通の法体たる 下種の南無妙法蓮華経には、決して 他の教えを交えてはならないとの、大聖人様の厳戒に 背いていることはもちろんのこと、それを遙かに凌ぐ、正法破壊の 大謗法行為と言わなければなりません。


 私たちは 石川の姫御前のような 臨終正念の信心に学び、末法唯一の正法である妙法を、大聖人様の教えられるままに、正しく純粋に信じ、行じていきましょう。



        ………φ(._.)     南無妙法蓮華経。