「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

どの業界にも「伝説」になって生涯語り継がれる人物がいます。ただし生きている時に大活躍をしたり話題になったからといっても必ず「伝説」の人物になれて、生涯語り継がれるという事は誰にもわかりません。ただその中でも現在メジャーリーグで大活躍をしている大谷翔平選手だけは、100%活躍している現在から「伝説」のアスリートとして語り継がれる事は、いずれ日本だけでは無く世界中のほとんどの人が認めると思っています。

 

オリンピックなどで大活躍をして、史上3連覇、4連覇をした素晴らしいアスリートでも「伝説」になって語り継がれるかというとそうでもありませんし、例えば大相撲でも一昔前には若乃花、栃錦、柏戸、大鵬、貴乃花、若乃花などの関取達も凄い人気があって大活躍をしたのですが、「双葉山」という関取が「伝説」になっているだけで、それ以外の関取は「伝説」の関取にはなれていません。

 

プロレスでもジャイアント馬場、アントニオ猪木も凄い活躍をして人気もありましたが、戦後の日本のヒーローで「英雄」だった「力道山」は「伝説」のプロレスラーになっていますが、2人とも「伝説」のプロレスラーとして語り継がれる事は無いと思います。それ位「伝説」になって人々に語り継がれる人物は非常に少ないと思います。

 

いくら活躍をして、有名になって実績を残しても「伝説」の人物にはなれないのだと思います。その事を考えるとプロ野球の大谷選手は凄い選手だと思いますし、歴史を変える様な凄い選手が大活躍をしているのをLIVEで見られて、同じ時代に生きている私達は本当に幸せだと思います。私は昔から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの戦国武将の人達と食事をしたり、一緒にお酒を飲んだりした人達やこの戦国武将が亡くなった時に葬儀の仕事をして同じ時代に生きていた人達を、本当に羨ましいと思っています。

 

ただ一緒に食事をしたりお酒を飲んだりした人達が、いずれこの戦国武将が「伝説」になって語り継がれる人物になるとはわからなかったと思いますし、この戦国武将の葬儀の手伝いをした人もいずれ「伝説」の人物になるとは当時はわかっていなかったと思っています。私が「伝説」の人物にこだわるのには理由があります。

 

私の祖父は千代田区にある靖国神社の並びで「矢村葬儀社」という屋号で葬儀屋をやっていました。都内で1番最初に「葬儀組合」が出来て、千代田区の支部長をやっていました。父親は杉並区内の永福町で「中村葬儀社」という屋号で葬儀屋をやっていましたし、葬儀組合の役員をやっていました。そして私も杉並区内の久我山で「日葬祭典株式会社」という社名で葬儀屋をやっていましたし、親戚も3~3軒は葬儀屋をやっていました。

 

ですから政治家の二世議員、三世議員と同じだと思っていますが、政治家と違い私の家系は地盤、看板、鞄はすべて別の地盤でした。でも私は葬儀屋としては都内ではサラブレットだと思っていましたので、政治家の二世議員、三世議員と環境は同じだと思います。

 

私は葬儀屋のサラブレットとして生まれ育ったので、子供の頃から人間の「死」に対しては非常に身近でしたし、自分で葬儀屋の会社を立ち上げて葬儀の仕事を始める事は自然で、葬儀という仕事をやる事は当然の事だと思っていましたから、葬儀という仕事に対しての使命とか、目標は考えていました。

 

ただ葬儀屋を立ち上げても葬儀の依頼が殆ど無かったので、一般的には問題だったのかもしれないのですが、生きていく為には他の葬儀屋が敬遠するヤクザの葬儀をやるしかなかったのです。結局ヤクザを頼って葬儀をやらなければ生活が出来ない訳ですから、葬儀屋のサラブレッドだけで私は大した実力も才能も無いと思っていましたが、それでも葬儀の仕事をやっていかなければならないサラブレッドなので、葬儀の仕事に対する使命や目標を持たなければただの「駄馬」で葬儀の仕事をやっていくのは無意味だと思っていました。

 

せっかく葬儀屋のサラブレッドとして生まれた訳ですから「葬儀の仕事をやって良かった」と思える使命と目標は何かという事を考えていたので、全国から5千人のヤクザが参列した葬儀をやった時に警視庁捜査4課の刑事さんの一言で、私の葬儀屋としての使命と目標が決まったのです。私が最初にお世話になったヤクザ団体は住吉連合会「向後一家」二代目西口組長の一家でしたし、ヤクザの葬儀をやる時には必ず所轄の警察署の捜査4課に行って刑事さんに葬儀の内容を報告をしなければならないのです。

 

そして1~2時間くらい注意事項を聞いてからヤクザの葬儀をやる訳です。そしてお通夜には必ず警視庁捜査4課の刑事さんと所轄の警察署の捜査4課の刑事さんが来ていました。ただ私の場合はヤクザの葬儀をやる時は初めから警視庁捜査4課の刑事さんに直接電話をかけて報告をするだけで大丈夫だったのです。そうすると警視庁捜査4課の刑事さんと所轄の警察署の捜査4課の刑事さんがお通夜には来ているのです。

 

ただ警視庁捜査4課の刑事さんの人数の方が所轄の警察署の捜査4課の刑事さんよりも多いのです。この全国から5千人のヤクザが参列した葬儀が終わって警視庁捜査4課の刑事さんと雑談を交わしている時に、「中村社長、この葬儀を見て「住吉連合会」はいずれ西口組長の時代が来るのがわかったし、我々捜査4課の刑事達も西口組長は昭和で最後の「侠客」として歴史に残る「伝説」になる親分だと認めているし、中村社長も西口組長に可愛いがってもらった方がいいよ」と言われたのです。

 

この会話で私はいずれ「伝説」になって語り継がれる人の葬儀をやる事が、私の葬儀屋としての使命で目標なんだと気が付いたのです。それから数年後に住吉連合会が組織改革をして連合会組織を解散して、一本化にするという話が出て関東、東北、北海道に本部事務所がある住吉連合会の各一家の総長が「向後一家」二代目西口組長を一本化した組織の会長になる事を各一家の総長が全員賛成して、西口組長から「親子盃」をもらって、名称も「住吉会」と変えて西口組長が「住吉会」六代目会長になってのです。

 

これを機会に当社が「住吉会」本部指定葬儀社になったのです。当社も他の団体の葬儀をやらないで「住吉会」の大規模な葬儀しかやらなくてもいい様になりました。そして「住吉会」の組織の基盤が出来上がった時に西口会長が「住吉会」総長になり、「小林会」二代目福田組長が西口会長の跡目を襲名して「住吉会」七代目会長になったのです。

 

そして新年の挨拶まわりで、私は元旦に銀座にある福田会長の本部事務所に新年の挨拶に行ったのです。そうしたら戦後の日本人のヒーローで英雄だった「伝説」のプロレスラーの「力道山」と喧嘩をして、刺殺した村田組長が偶然にも留守電をしていたのです。赤坂のナイトクラブの御手洗で肩がぶつかったという事でお酒を飲んでいて少し酔っていたらしく、体重が100K以上はある格闘技の選手の「力道山」が、村田組長に殴りかかってきて喧嘩になったそうなのです。

 

ヤクザはどんな事情があっても喧嘩で負けたらもうヤクザの世界では生きていけませんし、どんな手を使ってでも勝たなくては駄目なのです。その為に村田組長は自分で持っていたナイフで「力道山」を刺したのです。素手で喧嘩をしたら負けるどころか殺されていたと思います。世の中には「表の世界」と「裏の世界」があります。「力道山」は表の世界では「伝説」の人ですし、村田組長は裏の世界では「伝説」の人なのです。

 

ですから福田会長の事務所で「伝説」の人物の村田組長から昼食を御馳走になり、2人で雑談をしながら過ごせた時間は私にとっては素晴らしい時間でした。皆さんにとってはヤクザで人を殺した人間にしか見えないでしょうが、私にとっては「伝説」の人物と雑談をかわしながら一緒に食事をしたのです。また「伝説」の人と一緒に食事が出来る事は私にとっては喜びの一つなのです。

 

ヤクザの世界では絶対にやってはいけない「掟」があります。それは葬儀式場では他団体同士の抗争事件はご法度なのです。ところが葛飾区にある「四ツ木火葬場」の中にある葬儀式場で「稲川会」の2人のヒットマンが「住吉会」の2人の親分をピストルを乱射して殺害をしたのです。この葬儀は「住吉会」では7~8月には大規模な葬は行わないのですが、本家当番長が亡くなり仕事に支障が出るといけないので、規模を小さくして「住吉会葬」を行なったのです。

 

葬儀が終わって参列者に慶弔委員長が会葬御礼の挨拶をしている時に、ピストルを乱射して2人の親分を殺害したのです。この抗争事件は裏の世界では「伝説」として語り継がれています。殺害された親分のうち1人の親分の葬儀を私がやりました。この葬儀は裏の世界では「伝説」の人の葬儀だった訳です。

 

それに「住吉会」会長、総長、総裁までなり、亡くなるまで「盃」を誰にも渡さないで生涯現役のまま亡くなった西口茂男親分は、警視庁捜査4課の刑事さんが「中村社長、西口組長は最後の侠客で歴史に残る親分だよ」と言われていた親分です。もちろん裏の世界では「伝説」の親分として語り継がれるでしょうし、私が葬儀を取り行ないました。

 

そして1番最後にご遺骨を私1人で骨壺に納めさせてもらいました。葬儀屋のサラブレットとして葬儀の仕事の「使命」と「目標」を実現した訳ですから、本当に充実した葬儀屋人生を送ったと思いますし、葬儀屋になって本当に幸せだと思っています。