「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「雑談」の3本柱で書き込みをしています。

 

私がヤクザの葬儀をやり始めて全国で1番ヤクザの葬儀をやる葬儀社になれたのは、本当に「運」が良かったのと、チャンスを掴んだからだと思います。もし「運」が無くてチャンスを掴まなかったら絶対に出来なかったと思っています。何しろヤクザの事なんか何も知らなかったので、会社から1番近いヤクザの事務所に行った事が「運」が良かったんだと思っています。

 

これが他のヤクザの事務所に行っていたら、たまにしかヤクザの葬儀をやるだけの葬儀社で終わっていたと思います。私が実家の葬儀社を弟に継いでもらって、独立して「日葬祭典株式会社」という葬儀社を立ち上げたのですが、3年間殆ど葬儀の依頼が無かったので、一般の葬儀社が敬遠するヤクザの葬儀をやる事に決めたのです。

 

会社から1番近くにあるヤクザの事務所を調べたら、JR中央線「高円寺」にある事がわかり、お願いに行く事にしました。事務所に行くよりも組長の自宅に行って直談判した方がいいと思って、事務所から歩いて7~8分の所にある自宅に行きました。自宅に行ったら家を新築中だったので仮住まいのマンションの方に行きました。

 

運良くマンションに組長と奥様がいらしたので、奥様に用件を話したらリビングに通されて組長に会社の事情を話して、ヤクザの葬儀をやらしてもらえる様にお願いをしました。私の話を聞き終わったら「わかった」と言ってから、「帰りに事務所に行って、事務長の所に行く様に」と言われました。帰り際に奥様から「1ヶ月位したら家が出来上がるので、家の方にいらっしゃい」と言われました。

 

1ヶ月を過ぎて引っ越しが済んで落ち着いた頃に、自宅にアポ無しで訪ねたら運良く西口組長と、奥様と西口組長の親友の崎山さんという方がいらして、4人でリビングでもう1度私の話を聞いてもらいました。そうしたら、崎山さんが「中村君、関東のヤクザ団体にはそれぞれ自分の一家の縄張りがあるんだよ」と言われました。

 

そして「西口組長の縄張りは何ヶ所もあるけれども、JR中央線「新宿」駅東口の前を右に曲がって、紀伊国屋書店の前を通り過ぎて、伊勢丹デパートの前を通り過ぎて少し行ったら左側に曲がって、靖国通りを渡って新宿区役所の前を通り過ぎると、職安通りに出るからそこを左に曲がってまっすぐ行って、西武新宿線のガードを左に曲がってそのまま新宿駅東口に着いたら、今、私が話した道の内側がすべて西口組長の縄張りなんだよ」と言うのです。

 

そして「もし歌舞伎町に他の一家が事務所を出して仕事をする場合は、歌舞伎町にある西口組長の事務所に行って、毎月挨拶料を持っていかなければならないので、歌舞伎町には殆どのヤクザ団体の一家の事務所がある訳だから、各団体の一家に中村君の会社を紹介してもらえるし大丈夫だよ」と言われました。

 

「それに住吉連合会の中でもトップクラスの「幸平一家」という一家があって、JR中央線「中野」には「幸平一家」の清水総長の自宅があり、西口組長と清水総長は「兄弟分」だから直ぐに「幸平一家」からも、中村君の所に葬儀を頼んでくれるから直ぐに忙しくなるから待っていればいいよ」と言われました。

 

そして「何処のヤクザ団体も、葬儀社を頼んでも何処に葬儀社がいるのかがわからないので困っているみたいだから、中村君は何処にいるのかを分かるようにした方がいいよ」とヒントをもらいました。その為、私はお通夜が始まるまでは上着を脱いで白いワイシャツ姿で働く事にしました。

 

2ヶ月位したら、西口組長の知恵袋という方が亡くなり自宅で葬儀をやりました。亡くなった方がヤクザではないので参列した西口組長の「向後一家」からは、最高幹部の人達しかお通夜、告別式に参列しませんでした。火葬場から帰ってきたら西口組長から呼ばれて、「向後一家」の最高幹部の人達の前で「これから葬儀の時は、中村に頼むから」と言われました。

 

この葬儀で「向後一家」の最高幹部の人達に私の仕事を見てもらい、名前と顔も覚えてもらいました。この当時の西口組長は住吉連合会「向後一家 二代目」組長だったのですが、住吉連合会が連合会組織を辞めて「住吉会」に一本化する為に、全国にある住吉連合会の各一家の総長の推薦を受けて、「住吉会会長」になり、当社が「住吉会」本部の指定葬儀社になりました。

 

「幸平一家の葬儀」

「幸平一家」のJR中央線「東中野」貸元の「金享東」さんから電話があり、新宿百人町からちょと先の抜け弁天の所にある事務所に私と中神、小田の3人で行って、事務所に「Y社員」が祭壇を飾り初めて「幸平一家」の葬儀をやりました。

 

「幸平一家」というのは、住吉連合会の中でも1~2番の武闘派で、伝統もあり縄張りも多く池袋、中野、高田馬場、江古田、神楽坂、目白や西武池袋線、西武新宿線の沿線や埼玉県などにもあるのです。その為に縄張りの親分である「貸元」の人達の人数も4~50人いたみたいですし、住吉連合会から「住吉会」に一本化した後も大変な勢力を持っている一家なのです。

 

当社はヤクザの葬儀はやりますが、個人的な付き合いは一切しないのですが、葬儀式場では親しくさせてもらっていました。それから数ヶ月して「幸平一家」本部事務所から連絡があり、「幸平一家葬」を落合火葬場でやる事になり「幸平一家」の本部事務所で打ち合わせをする事になりました。

 

本部事務所には40人近い「貸元」の人がいて、中央に「幸平一家十二代目」築地総長代行の「加藤英幸」さんと、地下鉄丸ノ内線「中野新橋」貸元の「伊藤昇」さんに呼ばれて、隣りに座って打ち合わせをしました。本部事務所の中にいる人達は全員「幸平一家」の貸元なので、「幸平一家」の最高幹部の人達にも名前と顔を覚えてもらいました。

 

ヤクザの葬儀を始めて非常に短い期間でヤクザの葬儀の依頼が来るようになりました。それに当社が良く使用する葬儀式場が「中野新橋」にあり、その葬儀式場を運営している寺院が「住吉会」西口会長の菩提寺で、中野新橋の「貸元」の「伊藤昇」さんがJR中央線「八王子」に購入した自宅が、以前住んでいた人が私の知人の娘さんで、ご主人が亡くなり家が広すぎるので都内に引っ越したので、伊藤昇さんに購入してもらいました。

 

「天罰が下る」

緩和ケアの病院の指定葬儀社になって2年が過ぎた頃、公認会計士から電話があり「会長、「K病院」は凄いですね。やっと会社借金も終わり「無借金企業」になりましたよ」と言われました。これで都内の葬儀社で1番給料が高い葬儀社になれると思ったら、「A社員」が作成した偽造の「株式譲渡契約書」で、計画的に仕組まれた株主総会で私を解任して、会社名もオボ○○○と変えたわけです。

 

会社名をオボ○○○にしてから直ぐに金融機関機関から1億2千万円の融資を受けて、3ヶ所あった駐車場のうちの1ヶ所を購入して1階を倉庫にして、2階を事務所にする工事が始まったら「コロナ禍」になってしまったのです。「3密」の代表の職業の葬儀社にとっては大打撃なわけです。

 

何処の葬儀式場も使用禁止になり、葬儀も人数が制限されて食事は禁止で、参列者の人達にはお弁当を持って帰ってもらう様になってしまいました。葬儀をやらなくなってしまったのです。火葬だけしかやらない様になってしまったのです。この様な状況が3年も続き、昔みたいな葬儀は誰もしなくなりました。

 

本当に身内だけの葬儀になってしまったのです。それと葬儀費用も安くなり葬儀社同士の価格競争になってしまい、お金を儲けるというもくろみが外れ、オボ○○○に天罰が下ったと思いました。