「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

葬儀業界で自宅で葬儀をやらないで、葬儀式場で葬儀をやる様になった時に葬儀業界は大きく変わりました。寺院が葬儀式場を作りだし、仕出し料理屋、テント屋、看板屋が急激に増えました。葬儀の形式は変わらないのですが葬儀にかかる費用がかかる様になりました。

 

その為に当社では社員の仕事の役割分担を決めました。現場は一番体力がある神輿愛好会「櫻睦」の会長のY社員に決めました。それに今までY社員は物を考えたり、人前で話す事が苦手で他の社員が嫌がる車の洗車、香呂磨き、真鍮のローソク立をピカピカになるまで磨く事が得意だったからです。何しろ事務所には殆どいないで倉庫や駐車場に行っていました。

 

どこの葬儀式場も使用時間が決まっていて、午後2時から翌日の午後2時までが殆どでした。その為に午後2時からお通夜の準備を始めて午後4時30分までに終了しなくてはならないのです。午後4時30分過ぎには遺族が葬儀式場に来て生花の名札の順番を決めるからです。

 

午後5時過ぎにお通夜に参列する親族、親戚、友人の人達が来て、午後5時30分過ぎには一般会葬者の人達が来ます。午後6時からお通夜が始まってお清めをして午後9時までに解散をする訳です。翌日の告別式は午前11時から始めて出棺の時に、会葬者の人に会葬御礼の挨拶をして、午後12時30分までに火葬場に到着するという事になったのです。

 

葬儀費用が増えたのは式場費用、テント屋、看板屋、仕出し料理屋などの料金が増えたからです。葬儀式場の場合は受付テントを張ったり、道案内看板の本数を増やすので専門業者に注文をするので、料金が増えてしまうのです。葬儀社も自宅で使用していた白木祭壇が使用出来ないので、新しく白木祭壇を作ったので大変だったのです。

 

それに葬儀式場の場合は入口に「門標」と言って、故人の名前と通夜時間、告別式時間が書いてある8尺の白い布看板を立てるのです。その横に御霊灯の「提灯」を置くのです。葬儀式場までの道案内看板も交差点、電柱などに立てるので、その為に葬儀費用が今までよりもかかってしまうのです。

 

専門業者に受付テントを張ってもらうと受付テーブル、照明、幕などをすべてやってくれるので葬儀社は葬儀式場の中の事をすればいいだけなのです。葬儀料金は葬儀式場の中にある道具類とお柩が「基本料金」で、それ以外の火葬場料金、霊柩車料金、は別の料金なのです。

 

そうしますと何処の葬儀式場の飾りを見ても白木祭壇が違うだけで、それ以外は同じ専門業者に依頼するので、何処の葬儀社も殆ど同じ飾りなのです。ただ当社はヤクザの葬儀をやっていましたので、それも都内に本部事務所がある住吉連合会、稲川会、國粋会、東亜会、交和会、義人党、松葉会などのヤクザ団体の葬儀をやっていました。

 

それにヤクザの組員の人達から一般の方の葬儀を良く紹介してもらいました。ただ必ず「中村さん、一家の顔をつぶさないで」「中村社長、総長の顔をつぶさないで」と紹介されるたびに言われました。その為に紹介されたら絶対に顔をつぶす訳にはいかなかったのです。

 

これが「中村社長、少し葬儀費用を負けて」「中村さん、安くしてあげて」と言ってくれるならば簡単で、楽なんですけれども「顔をつぶさないで」と言われると、非常に難しいのです。

 

その為に当社は一般の葬儀社との見た目の差別化や、会葬者の人に対しての気配りを大事にしました。その為に看板屋に道案内看板と提灯だけを注文して、それ以外の道具類はすべて特注で作ってもらい、自社で所有する事にしてすべての費用は「基本料金」の中に入れる事にしたのです。

 

道具類は大事に使用すれば何回も使えるので、別に料金を貰らわなくても損はしないのですが、問題は2時間30分の間に当社の現場の社員だけで、葬儀式場の中と葬儀式場の外を飾らなければならないのです。

 

ただ現場主任の神輿愛好会「櫻睦」の会長のY社員が高校1年の1学期で中退して、伊豆稲取の実家から東京に出てきて、ラーメン屋さんで自転車で右手でハンドルを握って、左手でおかもちの中に料理を入れて急な坂道の登り下りをして、2階でも3階でも料理が冷めないうちに家に持って行く出前持ちを3年以上やっていたので、腕力、脚力、体力があるので飾る事は大丈夫だと思っていました。

 

現在はオートバイの後ろにおかもちを付けて料理を出前するのでそんなに腕力、脚力、体力が無くてもラーメン屋さんの出前は出来ますが、神輿愛好会「櫻睦」の会長のY社員が自転車で出前をしている頃は腕力、脚力、体力が無ければ出来ませんでした。

 

「白木祭壇について」

葬儀の祭壇類を販売している道具屋さんは都内には殆ど無いので、どこの葬儀社も同じ道具屋さんで祭壇を購入するので、道具屋さんは資金力があるので、道具類の支払い方法は葬儀社にとっては楽だったのです。その為に当社では初めからまとめて特注の白木祭壇を数セットまとめて注文しました。

 

今迄は自宅に白木祭壇を飾っていたので、住職が座ってお経をあげるので白木祭壇の1番前が低いのです。ところが葬儀式場の場合は曲緑と言って、椅子に座ってお経をあげるので1番前の祭壇が高いのです。それに横幅も6尺と決まっていたのですが、当社は葬儀式場に飾るので横幅を8尺にして、材質も総ヒノキで立派な白木祭壇にしました。

 

上に飾る道具類も大きくて立派なものにしました。一般の葬儀社は今迄通りの横幅が6尺で材質も普通のものでした。道具屋の社長も「並べて飾ったら比較にならない位立派な白木祭壇だ」と言っていました。当社はトラックが5台あり葬儀で使用する道具類ならばどんなに大きくても、数量があっても積む事が出来ました。

 

「葬儀式場の外について」

葬儀式場の入口に立てる「門標」も特注で総ヒノキで中が空洞の物を作ってもらいました。普通は白布の8尺看板が1枚なのですが、当社は12尺のヒノキ看板が1枚と、8尺のヒノキ看板が1枚で並べて2枚飾りました。12尺のヒノキ看板には故人の名前だけにして、8尺のヒノキ看板には通夜時間、告別式時間を書くだけにしました。書くというより「カッテングマシーン」を当社で持っていたので、作った文字をヒノキ看板の上に張るのです。

 

このヒノキ看板は立派で豪華でした。それにテントのパイプの高さも普通は180㎝なのですが、シートがかぶさっているので当社は背が高い人が来ても大丈夫な様に、190㎝の高さにしました。それにいろいろな大きさなテントも作りました。葬儀式場や会葬者の人の人数によって大きさを変えたのです。

 

また照明も裸電球がぶら下げてあるのが普通でしたが、当社は蛍光灯にしました。それとテントの周りには幕を張るのですが、風が吹くと幕がバタつくので、幕の1番下に細い鉄の棒を取り付けました。風が吹いても鉄の棒の重さで幕がバタつかないのです。

 

それと会葬者の人がお香典を受付で渡す前に、会葬者の人が記帳カードに名前、住所、電話番号を書いてからお香典を渡すので、受付が混雑して行列が出来てしまうのです。

 

それが嫌なので都内の葬儀社の中では1番最初に「記帳所」のテントを別に張って、そのテントの中で記帳カードに名前、住所、電話番号を書いてもらい、記帳カードと一緒にお香典を渡してもらいました。その為に受付テントの前で行列が出来る事はなくなりました。ただ一般の葬儀社はその事がいいと思っても料金がかかるので、殆どやっていなかった様です。

 

風が強く吹いている時のテントの重りも小さくて邪魔にならない様にして、パイプに重ねて置きました。テーブル類も4尺、5尺、6尺、8尺のテーブルを作り、その場所に1番あうテーブルを置きました。パイプ椅子も1式場には50脚用意をしました。雨が降った時や、暑い日には外で待っている一般会葬者の人にテントを張ってパイプ椅子に座ってもらう為に用意をしておいたのです。

 

何しろトラックがあるのと、道具類はすべて当社の物ですから、料金を貰うわけではありませんので出来るだけ会葬者の人に気配りをして、立派に飾る様にしました。最初のうちは皆んな息が切れて大変だったみたいですが、慣れてきたら4人で葬儀式場の中の飾りと、葬儀式場の外の飾り付けが2時間30分で楽に飾れる様になりました。

 

「道案内看板について」

1番問題だったのは、道案内看板はすべて看板屋が立てるので、いたずらをされてもわからないのです。その為に立ててある道案内看板の位置をずらされると、会葬者の人はとんでもない場所に行ってしまうのです。

 

その為に看板屋に道案内看板を取り付けた場所の住所を聞いておくのです。その住所を見て取り付けた場所に行かなければならないのですが、これだけは誰も直ぐにはできませんでしたが、さすがに神輿愛好会「櫻睦」の会長のY社員だけは昔ラーメン屋さんで自転車で出前をしていたので、不思議な位短い時間ですべての道案内看板が立ててある場所に行って、確認が出来るのです。

 

良く考えたら、それが出来なかったら電話で料理を頼まれた家が初めての家だったら大変な事になってしまう訳ですから、神輿愛好会「櫻睦」の会長のY社員が出来るのは当たり前なのですが、もしY社員が方向音痴だったらどうなっていたのかが、気になりました。

 

「ヤクザ事務所からの電話について」

葬儀が終わった翌日には必ずヤクザの事務所から電話がかかってきます。そして「中村さん、ご苦労様でした。○○さんから電話がかかってきて凄く喜んでいたよ、本当にありがとう」と言われました。怒られた事は1度もありません。

 

中には「事務所に来てくれる」と言うので、事務所に行ったら「これで若い衆に、飯でも食べさせてあげて」と言われて心付けをもらった事もあります。