「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「雑談」の3本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、ヤクザの葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先にある人見街道沿いの小さな4階建のビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。

 

これで自宅と会社の通勤が車で出来る様になり、途中で会社の近くのファミリーレストランに寄って、ヤクザの葬儀だけではなくて、一般葬をやる為の戦略を考える事も出来るので、本格的に一般葬の営業活動を始めました。4~5年で病院、寺院、老人ホームなど13ヶ所の指定葬儀社になりました。

 

会社に着くと2階に上がる入口のステンレス製の小さな看板に「日葬祭典株式会社」の会社名を見て、いずれ杉並区ではトップクラスの葬儀社になる事を目指して4階の事務所に行くのが日課になりました。

 

どの世界でも、業界でも、伝説として語り継がれている話があるものです。例えば芸能界で言えば、美空ひばり、石原裕次郎などは伝説の歌手、映画スターとして語り継がれていくでしょう。プロ野球の大谷選手などみたいにこれから伝説を作っていく人もいます。

 

葬儀社の中にも伝説として語り継がれて人物がいます。葬儀で一番大切な儀式はご遺骨をお墓に納める納骨が一番大切な儀式なのですが、この儀式で失敗したら大変な事になってしまいます。それが当社の「Y社員」がやってしまったのです。

 

「Y社員」はお神輿とヤクザが大好きな社員で、神輿愛好会「櫻睦」と言う愛好会の1番の担ぎ手の社員で、とにかくヤクザが好きで、憧れていました。ただやっている仕事が現場仕事なので、ヤクザの人達は「Y社員」の事は何も知りません。

 

ただ実情を知らない神輿愛好会「櫻睦」と言う愛好会の仲間の人達は「Y社員」の事を「住吉会」の最高幹部の人達が皆んな知っていると思いこんでいたらしいのです。

 

そのおかげで神輿愛好会「櫻睦」の仲間の人達の間ではいい顔が出来たらしいのですが、「Y社員」がやっていた仕事は祭壇飾り、テント張、受付準備なので、ヤクザの葬儀の時は、私の使い走りが仕事なので「住吉会」の最高幹部の人達は「Y社員」の事は誰も知らない訳です。

 

ヤクザの葬儀の時の私の仕事は、葬儀式場の中で陣頭指揮を取っていましたし、中神という社員はスナップ写真を写していましたので、「住吉会」の最高幹部の人達は私や中神の名前や顔は全員知っていましたし、親しくしていました。

 

事件が起きたのは、この日に納骨をする人は、「住吉会」の会長、総長、総裁をやっていて亡くなる迄「住吉会」の現役の親分だった、西口茂男「住吉会」総裁の納骨の日だったのです。

 

暴対法が強化されたので、表向きは西口親分は引退した事にしていたので、警視庁捜査4課の刑事さんには家族葬で菩提寺の葬儀式場で行なう事で、了解をして貰う事にしてもらいました。

 

ただ警視庁捜査4課の刑事さんにはある程度黙認して貰う為に、他団体の親分や「住吉会」の各一家の総長や最高幹部の人達はJR中央線「高円寺」にある住吉会の本家に行ってもらう様にしてもらいました。

 

葬儀式場には住吉会の最高顧問の親分と総長、会長、執行部役員だけにしてもらいました。

 

後は亡くなった子分の奥さんや、一般の人達で100名位の会葬者の皆さんでした。警視庁捜査4課の刑事さんたちは数十人位いた様な気がします。いずれ住吉会館で葬儀をやらない訳にはいかないので、警視庁捜査4課の刑事さん達も静かでした。

 

西口親分が任侠の世界で「侠客」として各博徒団体から認められ、警視庁捜査4課の刑事さんからは西口さんは最後の「侠客」だと言われていたのと、全国にあった住吉連合会の各一家の総長が集まり、連合会組織を辞めて「住吉会」として一本化する時に、住吉連合会の各一家の総長が西口親分を推薦して西口親分から「親子盃」を受けたのです。

 

要するに各一家の総長が全員が納得して西口親分の子分になったわけです。そのくらい「任侠」の世界では歴史上に残る立派な親分なのです。

 

その親分の納骨の時に、「Y社員」が墓石屋にきちんとした説明が出来なかった為に、納骨をする時に骨壷がお墓の入口が狭い為に、お墓に入れる事が出来なかったのです。それと墓石屋さんから1人しか社員が来ていなかったのです。

 

現場にいた当社の社員は全員驚いて、おそらく何が起こったのかが理解が出来なかったんだと思います。直ぐに中神が本堂からお墓に来る参列者の人に来ない様にしたり、別の社員は誰にも納骨が出来無い事を知られないように、必死に動き回っていました。

 

それに喪主と西口親分の奥さんと娘さんの3人は、ご遺骨を抱きかかえてお墓の所まで来てしまっていたわけです。当然骨壷をお墓の中に入れられない所を見られてしまったのです。

 

直ぐに墓石屋に連絡をして社長に文句を言ったら、「昔のお墓は入口が狭いのでそういう事が起こるので、普通は葬儀社の社員の人が事前に会社に来てくれた時に細かい事を話してくれるのですよ」と言うのです。

 

そして「今回の納骨する人は、どの様な立場の人の納骨だとか、参列者は何名だとか、いろいろな注意事項を伝えてくれるので、私の方でも細心の注意を払う事が出来るのです」とも言うのです。

 

そして「うちの店に来た日葬さんの社員の人は何も言わないし、ただ納骨の日にちと名前を言っただけで、肝心な事は何も言わないのですから、私に文句を言うのは勘弁して欲しいんですよ」と開き直るのです。

 

そして「中村社長、今回の納骨が出来なかった事で文句を言うのなら、お宅の社員の人に言って下さいよ」と言われました。

 

そして墓石屋の主人が捨てゼリフの様に「中村さん、自分の会社の使えない社員にそんな大事な仕事を頼む事自体が1番悪いんですから、責任は中村さんが取るべきですし、私だったら使えない社員には難しい仕事はさせませんよ」と言われました。

 

結局西口親分の奥さんが私に「中村さん、お父さんはまだお墓に入りたくなくて家に居たのよ」の一言で自宅に安置してもらって、1年後に納骨しました。

 

ただ恐ろしいと思ったのはこの神輿愛好会「櫻睦」で1番の担ぎ手の「Y社員」だけが平気な顔をして、ケロっとしていたので、伝説を作る人間は何処か違うと思いました。