「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまでヤクザ団体の「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。

 

「住吉会」会長の西口親分の自宅と同じ敷地内に「住吉会」の本家が出来上がったので、遊びに行く事にしました。住吉連合会「向後一家 二代目」西口組長が理事長だった時に、「住吉会」が連合会組織を辞めて「住吉会」に一本化にする事になって、西口組長が全国にある住吉連合会の各一家の総長の推薦を受けて「住吉会」会長になった訳です。

 

その為に西口親分の同じ敷地内の裏に自宅を建て、表の道路沿いに「住吉会」の本家を建てて、「住吉会」の内部改革も終わり、埼玉県日高市に「住吉会館」を造る事も決まったので、西口親分の自宅を訪ねる事にしました。JR中央線「吉祥寺」駅にあるアトレというショピングモールの中に、西口親分の大好物の「黒船」という和菓子屋さんがあります。

 

その店のどら焼きを西口親分が大好物なので、どら焼きを買ってJR中央線「吉祥寺」駅から4駅目がJR中央線「高円寺」駅なので、西口親分の自宅に遊びに行ったのです。初めて本家を見たのですが、そんなに大きな建物ではないのですが、立派な建物でした。横にある勝手口から入ろうとしたら若い組員の人が「中村さん、今日は玄関から入って下さい」と言われたので本家の玄関から入りました。

 

中に入ってたら玄関の中が10人位の人が一緒に靴を脱いでも余裕がある位広いのでビックリしました。左右に大きな壺と鎧兜が置いてあり圧倒されました。そのままリビングにい行ったのですが、防犯カメラの画面が10ヶ所位壁に表示されていて、やはり「住吉会」会長になると凄いなと思いました。組員の人がいなくなると西口親分がリビングに入って来て「中村と会うのは久し振りだから、ゆっくりとしていけよ」と言われました。

 

そして手土産に持って行ったどら焼きを2人で食べながら雑談を始めたのです。とりとめの話をしている時に、西口親分が私に「中村は「ローマの休日」という映画を見た事があるか?」と聞くので、「はい、見た事があります」と答えたのです。そうしたら笑いなが「中村、俺はこの間「ローマの休日」をやったんだぞ」と言うので、意味がわからなかったので「親分、どーゆう事ですか?」と聞いたのです。

 

そうしたら「この間4~5人で歌舞伎町のクラブに飲みに行って、トイレに行くふりをして裏口から抜け出して、久しぶりに一人で歌舞伎町で気ままに過ごしたんだ」と笑いながら話し出したのです。私が「ボディーガードを一人も付け無いでですか?」と聞いたら、「勿論1人で気ままに歌舞伎町の街を歩き回っていたという事だ」と言うのです。

 

私が「危なくないんじゃないのですか?」と聞いたら、「命を狙われているのは稼業の人間は誰でも同じだし、この頃はどこの団体ともトラブルも起こしていないし、「住吉会」の会長になったら何処に行くのにもガードをする人数が増えて、10人以上の組員が周りにいつもいるんだ」と言うのです。そして「自宅で寝る時も10人近い組員が毎日本家に泊まり込みをしているし、「ローマの休日」の映画を思い出して、俺も同じ様にやってみたくなったんだ」と話し始めたのです。

 

私が「クラブで親分のボディーガードをしていた組員の人達は、親分がいなくなったので大騒ぎをしたでしょうね」と聞いたら、楽しそうな顔をしていました。私が「歌舞伎町で何をしていたんですか?」と聞いたら、親分が「誰にも絶対に会わない様にしながら、立ち食い寿司屋、焼き鳥屋、スタンドバー、パチンコ店などに1人で行ったみたんだ」と話しだしたのです。

 

そして「午後7時頃から、4時間位だったけれども本当に楽しかったよ」と笑いながら話したので、私が「そうですよね、「住吉会」の会長になったら、確かにボディーガードの人達の人数も増えましたし、1日中24時間いつも誰かが親分の傍にいる訳ですからね」と言ったのです。そして「私はボディーガードを連れている西口親分を見ていると「カッコイイ」なと思っているんですよ」と言ってから、「でも「ローマの休日」をやっておいて良かったですね」と言いました。

 

西口親分に「誰にも合わなかったのも良かったのですが、何か困った事は無かったのですか?」と聞いたら、「最初に入った立ち食い寿司屋で少し寿司をつまんで、勘定を支払う時に湯吞み茶碗の下に1万円札を置いて、主人に「お金はここに置いてあるから」と言って店を出たんだ」と話すのです。

 

そして「そうしたら店の中から若い衆が追いかけて来て、俺に「お客様、金額が多すぎます」と言いながらお金を俺に返そうとしたので、「いいんだよ、男というのはいったん財布から出したお金は元に戻さないものなんだ、と言って若い衆を返した事くらいかな」と言ったのです。私が「親分、一体いくら支払ったのですか?」と聞いたら、「新札の1万円を重ねて、その上に湯吞み茶碗を置いたから1万円にしか見えなかったのかも知れないが、5万円だ」と言ったのです。

 

「それは何処の店でも、多すぎますと言って返しに来ますよ」と言ったら、「そんなもんか?」と首を少し傾けていました。そして、いろいろな店の話しを楽しそうに話してくれて、「住吉会」の本家を出てきたのですが、50年近い葬儀社人生の中で、この時の西口親分との2人だけの時間が、一番楽しかった想い出の様な気がします。本当に西口親分には可愛いがってもらいましたし、奥様にも可愛いがってもらいました。