「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して、「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまで、ヤクザ団体の「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。

 

西口親分がヤクザ団体の住吉連合会から「住吉会」会長になって、最初に行なった内部改革の一つに埼玉県日高市に住吉会館を造る事にしたのです。場所は名門ゴルフ場の日高カントリークラブの正面入口の前にあり、建設費用は全国にいる住吉会の組員の人達が毎月1人¥30,000円を出すことになったみたいです。役職に関係なく金額は同じだと聞きました。総工費は2~30億円と建設会社の担当者が私に教えてくれました。

 

最初は埼玉県警の住吉会館の建設許可が降りなくて、埼玉県警の署長の退職が決まった時に、埼玉県警から建設許可を出したと聞きました。1番最初はドライブイン形式のレストランで許可を取って、埼玉県警の署長が退職をしてから1年間位経ってから住吉会館の工事が始まりました。

 

住吉会館の正式名は「住共済会館」と言って、最初に住吉会館を造ってから、住吉会館の入り口の前にドライブイン形式のレストランの客席だけの店舗を造ってありました。その為に住吉会館は外からは丸見えでした。

 

正式に住吉会館として使う様になってから、レストランを壊して外から中は見えない様に大きなへいを作って中が見えない様にして住共済会館の看板を立てました。

 

住吉会館内は出入口が2ヶ所あり、正面の玄関は会長と最高幹部の人達の出入口で、後の1ヶ所が組員の人達の出入口になっています。組員の人達の出入口に下足箱があり、和室に上がる時はこの下足箱に靴を入れるのです。それ以外に小さな事務所があって電話、コピー、ファクスなどの備品が用意されているのです。

 

会館の中で特に目立つのはキッチンで、調理場はかなり広く襲名、新年会、幹部会などの行事の時に、200~250名分の調理器具、設備、備品もすべて揃っていました。またレストランの方の建物も営業はしませんでしたが5~60人はゆっくり食事が出来る様に作ってありました。

 

建設会社の担当者の人が「中村さん、いずれ会館内で襲名、新年会、幹部会などをする時は、コックさん、和食の職人さんの人達が食材さえ持ってさえ来てくれれば、料理が十分出来る様にキッチンを広くしてあるんですよ」と私に言っていました。

 

住吉会館の中を大きく分けますと四つに分かれています。会長室、最高幹部控室があって部屋の真ん中に広い通路があり、和室とテーブル席が左右に分かれています。テーブル席には大きな舞台があり舞台照明や音響設備も完璧でした。

 

駐車場も大型の外車が余裕を持って100台は駐車が出来る広さで、和室の部屋は総ヒノキ造りで、部屋は障子で仕切ってあり家具類もすべて特注品で、障子を取り除けば100名以上の人達が楽に座れるだけの広さがあり、襲名の時でも十分に使える広さです。

 

テーブル席は丸テーブルで、200名以上の人がゆったりと座れて大きな舞台があって本当に立派な会館です。舞台の裏が大きな物置になっていて、襲名、新年会などの時に和室の家具類などを置く様になっています。

 

今迄は全国にある住吉会の各一家の連合組織だったので、全国にいる住吉連合会の各一家の幹部の人達が一堂に集まる場所が少なく、少人数の最高幹部の人達だけで都内のホテルなどの1室を借りて集まっていたのです。

 

それが住吉会館が出来たので、全国の住吉会の各一家の幹部の人達が毎月1回集まれる会館が出来た訳ですから、「住吉会」はより強固な団体になった訳です。

 

住吉連合会が「住吉会」になり、最高顧問、執行部委員長、幹部役員の人達の序列も決まり、港区赤坂にある住吉会本部の1階の会議室に執行部委員長が集まって、「住吉会」の今後の色々な決定事項を決める訳です。

 

住吉会本部事務所の担当する一家は「鶴川一家」が中心になり、他の一家の組員の人達もいましたが、最初の事務局長は、「鶴川一家 四代目」奥村総長がなったのですが、体調不良の為に直ぐに「鶴川一家 五代目」関口総長が事務局長になりました。

 

「住吉会」本部で執行部委員長の会議で決まった決定事項を、住吉会館で各一家の幹部の人達の前で直接公表をする訳です。それと全国の各一家の幹部の人達の親睦や顔合わせなども含めて、月に一回親睦を兼ねて幹部会をする様になった訳です。

 

それに住吉会館を管理する一家も決まり、呼び名も幹部会ではなくて、「定例会」という呼び名に決まりました。ただこの定例会を月に一回行なう事になりますので、管理する一家だけでは大変なので、当社もお手伝いをする事になったのです。

 

そこで、私と中神が「住吉会」本部の事務局長、事務長、室長、住吉会館を管理する一家の総長、組員の人達と話しをして、最終的に当社がやる仕事は、幹部会の準備、手伝い、後片付けをする事に決まりました。

 

準備というのは、幹部会が始まる前にお茶菓子、お茶、水、ペットボトルなどの用意、それに氷を買ってきてキッチンの製氷機に入れて置くわけです。

 

そして住吉会館の担当一家の組員の人達が各テーブルに品物を並べる為に、キッチンに品物を取りに来たら速やかに渡す役目が当社の仕事になりました。それと、定例会をやっている途中で氷が足りなくなったり、タバコなどの買物に行くのも当社の神輿愛好会「櫻睦」会長のY社員を担当にしました。

 

当社の仕事は定例会が終わったら幹部の人達が折り詰め弁当を食べてから帰るので、幹部の人達が帰った後のテーブルの後片付けと掃除をやる訳です。

 

食べ終わった折り詰め弁当は当社の本社の1階に持って帰って帰ってきて、折り詰め弁当の中身を区分けして、ゴミ箱に入れるのです。この仕事が一番面倒くさくて、大変な仕事だと手伝いに行っている神輿愛好会「櫻睦」会長のY社員が言っていました。

 

「住吉会」本部室長から「中村さん、定例会に参加する人数は、大体120~150名位になると思っていて欲しいんだけれども」と言われていたので、毎回その人数分で準備をする様にしました。

 

1番最初の手伝いをやった日には、日葬祭典の本社の前に社員全員が午前4時に集まって、手伝いに行くヤクザが好きでヤクザに憧れていて、いつも義理、人情、恩義などの話しが好きな神輿愛好会「櫻睦」会長のY社員と、あと1人の社員がやる事になったので見送る事にしました。

 

ある日「住吉会」本部の室長から「住吉会」本部に私が呼ばれて、「中村さん、定例会のお礼はどうしたらいいのかな?」と聞かれたので、「これからも葬儀の時に祭壇などを飾っている現場主任で、神輿愛好会「櫻睦」会長のY社員を専属にする事を了承して下さい」と話して了解をしてもらいました。

 

それとお礼の件は、「いつも葬儀の時にお世話になっていますので気にかけないで欲しいのですが、出来る事なら当社は「住吉会」本部の指定葬儀社なので、いつ用事があるかもしれませんので、福田会長以下の最高幹部の人達の名刺と携帯電話の番号を教えてください」とお願いをしました。

 

そうしたら室長が「中村さん、それだけでいいの?」言われたので、「十分です」と答えてから、「もし名刺の肩書が変わったら、新しく肩書が変わった名刺を手伝いに行っている、Y社員に渡しておいてくれればいいですから」と言ってその話は終わりました。

 

帰りの車の中で中神に幹部会の手伝いのお礼の話をしたら、「会長、それが一番いいですよ。 自分には何も必要が無いですが、Yならば神輿愛好会「櫻睦」会長なので、仲間内で「住吉会」の会長の名刺や、最高幹部の人達の名刺、携帯電話の番号を見せびらかしたらいい顔が出来るでしょうから」と言っていました。

 

「それに名刺も携帯電話の番号なども、会長みたいに簡単に手に入れる事が出来ないものですから、Yも喜ぶと思いますよ」と言ってくれたので納得しました。

 

中神と別れる時に中神が「会長、住吉会館のキッチンは広いし、出入口から車の出入りが1番最初に見える一等席なので、Yも喜んで手伝いに行きますよ」と言われたのでホットしました。