「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にして葬儀社を始めたころでした。私が住吉連合会「向後一家 二代目」西口組長の自宅にやくざの葬儀をやらせてもらう事で直談判をしてお願いをしに行った時は、ヤクザの世界の事は何も知りませんでした。

 

ましてヤクザの世界の「盃」の重さの事など何も知りませんでした。西口組長の自宅に遊びに行くと必ず西口組長が一番信頼している親友の崎山さんという友人の方がいつも西口組長の自宅に遊びに来ていましたので、この崎山さんからヤクザの世界の事を教えてもらいました。

 

それに私はこの崎山さんからも随分可愛いがってもらいましたし、崎山さんのご自宅にも随分遊びに行かせてもらいましたし、食事、お茶などにも誘って貰っていろいろ勉強をさせてもらいました。

 

ある時崎山さんから、「西口組長は向後一家の先代からは、妙清寺事件で正式な跡目盃をもらえなかったというのと、まだ自分では「向後一家 二代目」組長だとは思っていないんだよ」と教えられました。

 

それに「まだ自分が、向後一家 二代目組長を継げる器ではないと自分では思っているんだよ」と言うのです。

 

崎山さんに「何故ですか?」と聞いたら、「向後初代は、阿部重作親分が会長の「港会」芝浦事務所から、JR中央線「高円寺」に事務所を構えて、新宿、八王子、埼玉迄、足を伸ばす実力者で、浅草の妙清寺と言う寺で「住吉会」の葬儀の時に、「住吉会」の内部抗争で亡くなったんだ。

 

その為に向後先代の跡目盃は貰っていないし、向後一家初代の死後は芝浦事務所の筆頭舎弟の「浜本政吉」親分を中心に結束をして、西口組長は当時「向後一家」初代の事務所の部屋頭だったんだ。

 

今は各一家に対しては「向後一家」二代目組長で通しているが、自分ではまだ「向後一家」二代目組長だという事を、自分では認めていないんだ」と教えられました。

 

そうしたら崎山さんが私に向かって「このままの状態で行けば、日葬祭典は都内ではヤクザの葬儀をやらせたら、右に出る葬儀社は絶対に出て来ないと思うよ」と言うわれました。

 

そして「何処の世界でも二代目は責任重大だし簡単には引き受けられないし、西口組長は自分ではまだその器だと思っていないんだと思っているんだと思うよ」と聞かされた時に私は創業者で良かったと思いました。

 

その為、私は「向後一家」の葬儀の時には、他団体の組員が誰も居ない時には「向後一家」の組員の人達に対して、葬儀式場では西口一門の方、と案内をしていました。

 

例えば、「向後一家」の組員の人達に他の場所に移動してもらう時には、「すいません、西口一門の門下生の皆さんは 奥の方に移動して下さい」と言っていました。そして2年位してから、正式に「向後一家 二代目」組長の跡目を継いだ様なきがします。

 

その住吉連合会「向後一家 二代目」西口組長が、全国にある住吉連合会の各一家の総長の推薦を受けて、連合会組織を解散してヤクザ団体の「住吉会」になって、「住吉会」初代の会長になって全国の「住吉会」の各一家の総長や最高幹部の人達と「親子盃」を交わした訳です。

 

当然向後一家の代貸が「向後一家 三代目」組長の跡目を継いだのですから、向後一家の組員の人達は西口会長に盃を返して、「向後一家 三代目」組長から、盃を受ける事になると思っていたのです。

 

しかし「向後一家」で西口会長から盃を受けた子分にしてみれば、「西口会長」に盃を返して、「向後一家 三代目」組長の盃を貰う組員の人は誰もいなかったのです。

 

その為、「向後一家 三代目」組長はいるのですが、「向後一家 三代目」組長の盃を受けた組員の人達は1人もいなかったのです。その為これから先「向後一家」はどうなるのかと気にしていたのです。

 

「向後一家」は博徒ですから、トップは貸元と言って西口さんが親分な訳です。その下に代貸が1人いる訳ですが、「向後一家」には代貸が2人いたのです。

 

1人の代貸は自分で組を持っていたのですが、もう1人の代貸は組を持っていなかったのです。組を持っていた代貸が亡くなっていたので、跡目を継いだ三代目には子分が1人もいなかったのです。その為に「向後一家」は三代目1人だけになってしまったのです。その為にこれからどういう名前になるのかと思っていました。

 

そうしたら向後一家の事務長から電話があって「中村さん、これからは向後一家と呼ばないで、向後睦会と呼んで下さい」と言われました。

 

そして新しく向後睦会に入門した組員の人達は、「向後睦会 三代目」組長と親子盃を交わす訳です。ヤクザの盃は自分の命を親分に預けている重みのあるものなので、そう簡単に盃を返さないものだと知りました。

 

当然住吉会館で行なわれる新年会では、西口親分の盃を受けた組員、福田総長の盃を受けた組員、関会長の盃を受けた組員がいましたが、やはり西口親分から盃を受けている組員の人達は、「住吉会」の中では別格扱いされていました。

 

ヤクザの世界は盃で統率が取れてるんだと思いました。