「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまで、当社はヤクザ団体の「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。当社の本社ビルを、日葬祭典の社員の中には「住吉会」ビル、「西口」ビルと呼んでいる社員もいました。

 

私が26才の時に杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」という葬儀社を立ち上げたのですが、葬儀の依頼が殆ど無くてアルバイトで生計を立てていたのですが、30才の時に何処の葬儀社でも敬遠してやりたがらなかったヤクザの葬儀をやる事に決めました。

 

会社から一番近くにあるヤクザの事務所がJR中央線「高円寺」にある、住吉連合会「向後一家 二代目」西口組長の事務所だと聞いたので、西口組長の自宅を訪ねて西口組長に直接会って「ヤクザの葬儀をやらせてください」と直談判をして、西口組長から盃を貰った「向後一家 二代目」の子分の人達の葬儀をやらせてもらう事をお願いしました。

 

当時は組員の人数も少なく、皆んな無理をするので若くして亡くなる組員の人も多くて、葬儀が終わると亡くなった子分の奥さんが西口組長の自宅に呼ばれて、葬儀で集まった香典から必要経費を除き、残った香典に西口組長がお金を足して、必ず残された奥さんに渡していました。

 

お金を渡す時に「お墓を買ってあげる様に」「お店をやる様に」と言って、香典を渡してから玄関で奥さんに「場所が決まったら 必ず教える様に」「困った事があったら 何時でも相談に来る様に」と言って、亡くなった子分の奥さんを西口組長が見送っていました。

 

西口親分が入院して僅か2~3日で亡くなったときに、本家当番長から夜中に電話がかかってきたので、病院に皆んなが行って迷惑をかける訳にはいかないので、自宅に誰にも内緒で連れて帰ってきました。そして、本家で私と奥さんと向後睦会の最高幹部の組員の人達と、「住吉会」本部の事務局長と事務長で葬儀の大体の事を決めました。

 

葬儀は菩提寺の葬儀式場でやる事と、「住吉会」本部の事務局長、事務長には家族葬でとり行うので、他の各団体には時間を調整してもらって、本家に来てもらう事にしてもらいました。

 

向後睦会の幹部の組員の人達には、本家の周りに無断駐車をしない様にしてもらいました。警視庁捜査4課の刑事さんには、私が話をする事にしました。

 

そして西口親分の長男の方に喪主になってもらいました。私と喪主が細かい事を決める事に私が奥さんの了解をしてもらいました。後は向後睦会の幹部の組員の人達と決めて、いずれ住吉会会館で葬儀をやるのですからと、事務局長に伝えて電話で連絡を取り合いながら家族葬の方向で決めていきました。

 

菩提寺の葬儀式場には前日にすべての飾り付けも終わり、万全にしておきました。警視庁捜査4課の刑事さんも「中村さんがやってくれるので安心していますから」と言われたので「自宅に会葬に来た他団体の名前と、来た人数を後でお知らせしますから」と伝えておきました。

 

西口親分のお通夜の時に、お清め所に最初の子分の未亡人になった奥さん達がいて、「中村さん、その節はどうもお世話になりました」と声をかけられたのですが、最初は誰だかわかりませんでした。

 

名前を言われてすぐに思いだせませんでした。良く考えて見ればどの組員の奥さんも、昔は葬儀の時に配膳を手伝ってもらっていたので、思い出したら懐かしさで胸がいっぱいでした。

 

全員で10名程の方がお見えになっていたのですが、皆さんも高齢になって杖をついている方や、車椅子の方もいらっしゃたのですが、皆さんは今でもお互いに親交があるそうで、時々連絡を取り合っているとの事でした。

 

そして「中村さん、私はお墓を買ったんですよ」「私はお店を始めたんですよ」と言ってから、皆んなが私に「西口さんが「お墓参り」に来てくれたり、「お店」に来てくれたんですよ」と言われた時に、私は西口親分は何と素晴らしい子分の人達に慕われていたんだろうと思い、涙が止まりませんでした。

 

私も他に用事があるので、挨拶をしてその場を離れ様としたら、「中村さん、今日は皆んな主人の写真を持って来ていて、主人も一緒に西口組長のお別れに来ているので見て下さい」と言われて写真を見せて貰った時に、全員の顔は覚えていましたし「向後一家 二代目」」の葬儀をやっていて本当に良かったと思いました。

 

それに、子分の奥さん達が全員亡くなった主人の写真を持ってきて、一緒に西口親分のお見送りに来てくれた事を考えると、子分だけではなく、奥さんも西口親分に心から慕っていて、西口親分も心から子分を可愛がっていたんだろうなと思いました。

 

今迄数え切れない位ヤクザの葬儀をやっていますが、この様な事は初めてですし、別れ際に「私の葬儀も中村さんにお願いしますので、電話番号と会社の場所を教えてくれる?」と言われた時に「勿論です」と答えてから名刺を渡しました。

 

もしこの奥さん達が亡くなって私が葬儀をお手伝いする事になったら、「西口親分の1番最初の子分の奥さん」として見送ってあげたいと心の底から思いました。