「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、ヤクザの葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して、「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。

 

これで自宅と会社の通勤が車で出来る様になり、途中で会社の近くのファミリーレストランに寄って、ヤクザの葬儀から一般葬の葬儀の戦略を考える事も出来るので、本格的に一般葬の営業活動を始めました。

 

4~5年で病院、寺院、老人ホームなど13ヶ所の指定葬儀社になりました。会社に着くと2階に上がる入口のステンレス製の小さな看板に「日葬祭典株式会社」の会社名を見て、いずれ杉並区ではトップクラスの葬儀社をになる事を目指して4階の事務所に行くのが日課になりました。

 

ある時当社に本人から私に電話をかけてきて、「どうしても葬儀社になりたいので、日葬祭典さんで働かせて下さい」と言う電話がありました。こんな電話がかかってきたのは初めてだったので、イタズラ電話だと思っていました。「とにかく会社に来るように」と答えてから翌日本社に来てもらう事にしました。まだ20才を過ぎたばかりの若い人で、とにかく最初の一ヶ月は見習いという事で当社で働いてもらう事にしました。

 

ただ当社ででは新しく人を雇う予定は無かったのです。ただこれも何かの縁だと思って働いてもらう事にしたのです。当社の入社の条件はトラックの運転が出来るのと、当社の本社から車で30分以内で通勤が出来る所に住むというのが最低の条件なのです。それにトラックの運転もできますし、当社の本社の近くに住んでいるので一ヶ月の見習いという事で了承したのです。

 

一ヶ月の見習い期間を過ぎて正式な社員になったら本人の希望を聞いてあげて、いずれ葬儀社が出来る様にするつもりでした。それから皆んなに話しをすればいいと思っていました。その見習い社員が帰った後、中神に「明日から見習い社員が来るから」と知らせました。中神が神輿愛好会「櫻睦」でお神輿が好きな「Y社員」に「どんな仕事でもいいから、皆んがやりずらく無いように使って欲しい」と伝えた様です。「Y社員」が「中神さんわかりました」と聞いていました。

 

 

神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いていて、現場仕事が専門の「Y社員」が「葬儀はやり直しがきかない仕事なので何をさせたらいいですか?」と中神に聞いたらしく、中神が「Y社員」に「飾りが終わったら遺影写真を確認させればいいんじゃないかなと言ったそうです。そうしたら本人に「だいたい家族の方や会葬者の方から言われるのが、遺影写真が電気の明かりが反射して見ずらいと言われるので、何処の位置からでも遺影写真が見える様にさせればいいんじゃない?」と「Y社員」がアドバイスをしたそうです。

 

夕方「Y社員」から中神に電話があり、「中神さん、あの新人は中々いい奴ですし体力もありますし、何事にも積極的に動きますし、他の社員に対しても礼儀正しいのと下請けの業者にも好感が持たれているみたいなのでいいと思います」と報告があったそうです。そして「遺影写真を飾ったので、新人にあらゆる角度から遺影写真が見れる様にしてくれればいいよ、と言っておきました」と言っておきましたとも言っていたそうです。

 

そうしたら「Y社員」が中神に「あの新人は何度も遺影写真を見て、最後に遺影写真とにらめっこをしているのではないかと思うくらい遺影写真を見ていましたよ」と笑いながら言うのです。中神も「そのくらい素直で、責任感が強いのなら社員にしても安心だね」と言ったそうです。

 

翌日、朝1番でその新人が私のところに来て「社長、私には葬儀社が向かない事が分かりましたので、大変申し訳ないのですが辞めさせて下さい」と言うのです。「わかった。自分に向かない仕事は長続きしないし、私も困るからいいよ」と言ってから「何が向かなかったの?」と聞いてみました。そうしたら、その新人が「社長、仕事が終わって家に帰って今日は充実した日を送ったと思いながら食事をして、のんびりしてベッドの中に入り、部屋の電気を消して寝たんですよ」と言ってから急に黙ってしまったのです。

 

そして私に「眠ろうとしたらあの遺影写真の人の顔が浮かんできて、なかなか寝付かれ無かったのですが、やっと寝たと思ったら今度は夢の中であの遺影写真の人が自分を追っかけて来るのですよ。ビックリして飛び起きたらあの遺影写真の人の顔が頭に焼き付いて離れ無いので、今日もあの遺影写真を見たら本当に頭に焼き付いてしまいそうで、どうしてもあの遺影写真を見たくないのです」と言いいだしたのです。

 

そして「やはり、自分には葬儀社は向かない仕事だと思ったのです」と言うのです。私には理解が出来なかったのですが、人間にはいろいろな人がいるので、もしこれから先日葬祭典に勤めていたらすごい人数の人の顔を見なければならないので本人に「わかった、ご苦労様でした」と言って一日分の日給と交通費以外に交通費を渡して帰ってもらいました。当社を1日で辞めた理由が、日葬祭典が働きにくい会社でなくて良かったと思いました。