「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、ヤクザの葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。

 

これで自宅と会社の通勤が車で出来る様になり、途中で会社の近くのファミリーレストランに寄ってヤクザの葬儀だけではなく、一般葬をやる為の戦略を考える事も出来るので、本格的に一般葬の営業活動を始めました。

 

4~5年で病院、寺院、老人ホームなど13ヶ所の指定葬儀社になりました。会社に着くと2階に上がる入口のステンレス製の小さな看板に「日葬祭典株式会社」の会社名を見て、いずれ杉並区ではトップクラスの葬儀社になる事を目指して4階の事務所に行くのが日課になりました。

 

どこの葬儀社にとっても倉庫は非常に大事なものなのです。葬儀社なので24時間、年中無休で利用出来てそれと同時に作業がやりやすい倉庫など、なかなか見つからないのですが、当社はそれが実現出来たのです。倉庫ですから本社から少し位なら離れていてもかまわないのですが、夜中でも道具類の積込などをするので隣近所に気兼ねをしなくて、倉庫の前に車が駐車が出来てガードレールが無ければ最高なのです。

 

それに道具類を積み込んでいる時に車の渋滞が起こらなければ、いう事がありません。こんな葬儀社にとって理想的な倉庫を当社は借りる事が出来たのです。場所は京王井の頭線「永福町」駅から北口商店街の一方通行の出口から5~6軒手前の右側で、広さは敷地が約50坪で正方形の1階のワンフロアをすべて借りる事が出来たのです。実を言いますと大家さんが家を建て替える事になって、土地は自分の土地で建物を建てるのに金融機関から20年間のローンを組んだらしく3階建てでした。

 

3階が住居、2階が奥さんが経営する小学生のダンススクールと事務所で、1階は20年間は確実に借りてくれる人で、出来る事なら大家さんが知っている人に借りてもらいたいという事でした。以前不動産屋さんに倉庫の事で相談に乗ってもらった事があってのですが、なかなか「日葬祭典さんの希望している倉庫は難しいとおもいます」と不動産屋さんに言われていたのです。不動産屋さんから連絡があり「日葬さんの理想通りの倉庫が見つかりました」と言う電話があったのです。

 

今迄は当社の倉庫は小さな倉庫を数か所借りていたのですが、使いずらかったので直ぐにこの倉庫を借りる事に決めました。倉庫の賃貸借契約書を取り交わす前に不動産屋さんから私に「中村社長、最低20年間は日葬祭典さんに借りて欲しいのですと言ってきました。そして何か希望があれば言ってくれれば建設業者に話しをして出来るだけ希望通りにしますから」と言ってきたので、まだ建物が出来ていない事がわかりました。

 

まず倉庫になる建物の場所を見てみました。少し家が建っていたのですが、家の前の道路は一方通行で片側1車線の道幅で、道路と歩道が白線で分けているだけだったのです。ガードレールが無いので倉庫の前にトラックの駐車がやりやすいのと、隣が空き地で当分の間は何も出来ないと言われたのです。トラックが駐車をしても道具類の積み込み作業をしても隣近所に気を使う事がないのです。

 

そして1階部分をセットバックして2階の建物は道路ギリギリの所から建物を建てるので、雨が降っていてもトラックの荷物の積み込みをしても道具類は雨に濡れないわけです。それに2階に上がる階段は正面左側にあるのでトラックを前の方に駐車をする事が出来て、トラックの後ろのドアーから道具類を積み込みもやりやすいのです。それに倉庫なのですが、外から見たら店舗の様に見える様に倉庫の左端は独立した出入口にして小さな事務所にも使えるのです。

 

最終的には倉庫というよりも日葬祭典の営業所というイメージになりました。また倉庫の前に小さな看板やシャッターに日葬祭典株式会社の会社名を書いて、何処から見ても葬儀社の倉庫には見えない様にしました。倉庫の中はコンクリートの打ちぱなしで所々にフックを付けてもらっただけで、お手洗いや作業をする人達が食事が出来る様に大きめの自由に開け閉めが出来るパティションを設置しました。

 

倉庫の中には葬儀の祭壇から、病院に毎年飾るクリスマスツリー、七夕祭りなどのイベントの道具類や、住吉会で使う襲名披露の道具類、それ以外に車のタイヤなどを置いときました。やはり倉庫は中が広くて前に駐車が出来て、夜中に隣近所に気兼ねなく作業が出来て作業中に車の渋滞が起こらない倉庫は理想的な倉庫でした。使えるまでに1年位待ちましたが葬儀社にとっては最高の倉庫でした。運が良かったと思いました。