「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「雑談」の3本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまでは、ヤクザ団体の、「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。

 

この頃は「住吉会」も住吉連合会と言っていて、全国にある住吉連合会の各一家の葬儀のやり方が違うので、当社はいつも緊張の連続でした。

 

そして、まだ「住吉会」の各一家が一本化していない時なので、住吉連合会という名称で呼ばれていて、住吉連合会の会長以下、執行部役員の人事も数年に一回、全国にある各一家の総長の話し合いで決められていました。

 

住吉連合会の最後の会長は、立川市を基盤にしている住吉連合会「日野一家」の川口総長が会長でした。やはり立川競輪場があるので、自分の縄張りの中にこの様な施設を持っている一家の方がいいのかと思いました。

 

まだ住吉連合会の葬儀のスタイルが決まっていないので、各一家の最高幹部の意向と住吉連合会本部の事務局長、事務長がお互いに葬儀の意向を話し合って決定すると、当社に葬儀の指示が来る様になっていました。

 

今回も住吉連合会本部の指示が来る迄、葬儀の規模や式場などの事は全然分かりませんでした。その為、私と中神、小田、神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいる「Y社員」の4人で、呼ばれた場所に行く様にしていました。

 

いずれ中神と小田の2人にヤクザの葬儀の担当をさせるつもりでいました。理由は2人とも物怖じしないのと、自分の意見がヤクザに言えるのと、ヤクザに対して思い入れが無いなどの条件が揃っていたのと、他の社員が認めていたからです。

 

住吉連合会の現役の川口会長が亡くなり、住吉連合会の事務局長から「中村さん、直ぐに川口会長の自宅に来て欲しい」という指示がきたので、当社の本社から川口会長の自宅に向かって飛んでいきました。

 

ただ川口会長の自宅が米軍の横田基地のすぐそばだったので、火葬場の場所などが分から無いので、当社の本社に連絡をして調べてもらう様にして車で自宅に向かっていました。

 

いつもと違ってこの時は住吉連合会の現役の会長が亡くなったので、川口会長の自宅に向かっている私の携帯電話に事務局長から「今 どのあたりにいるの?」「あと どのくらいで着きそう?」と何回も電話がありました。

 

川口会長の自宅に着いたら事務局長から、「葬儀は自宅で行うのと、お通夜をやらないで告別式の前日迄に各団体のトップの総長に時間差で少人数で自宅に弔問に来てもらって、告別式の日に葬儀を行う事を伝えられました。

 

そして住吉連合会の各一家の総長に事情を話して、告別式に参列する人数は各一家の総長を含めて全員で50名」と言われました。

 

川口会長の自宅にの庭にテントを全面に張り、パイプ椅子を50脚並べる事になりました。ただ、最終的に葬儀の日にちと時間を決めるのは住吉連合会本部事務所なので、連絡を待っていたら日程と時間が決まったのです。

 

ただ困った事に火葬場が市営でやっているので、5時過ぎには火葬場の職員の人達が全員帰ってしまうので、火葬時間が決められないのです。

 

まして、今回使用する火葬場は3つの市で運営している事がわかり、何処に連絡をしたらいいのかが分からないので、「日野一家」の組員の人に頼んで火葬場の職員の人に連絡を取ってもらい、葬儀の時間が決まりました。

 

夜、住吉連合会の理事長の「向後一家」西口組長が自宅に来ると言うので、神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいる「Y社員」に急いでお棺を持って来てもらい納棺を済ませました。翌日は川口会長の自宅を葬儀式場にしなくてはならないので大忙しでした。

 

最初に各団体の弔問客が来ても大丈夫な様にしてから、最初に外回りのテントを張って葬儀式場を仕上げる事に決めました。そして私と中神、小田の3人で市役所に行って手続きを済ませてから火葬場に挨拶に行きました。

 

火葬場に着いたら中神は事務局長に火葬場の様子を知ってもらう為に、直ぐに火葬場のスナップ写真を写し始めました。

 

私と小田は火葬場の所長さんと話しあって当日は火葬場を貸し切りにしてもらえる様にお願いをしました。運良くこの火葬場は1日に1~2軒の家族の火葬しかしないので、貸し切りにしてもらう事が簡単に出来たのです。

 

所長さんから注意事項を聞いてから、火葬場の現場の職員の人の所に挨拶とお願いをしに行きました。

 

驚いたのは火葬場の火葬炉の職員さん全員が市の職員の人達で、大体7年の間隔で移動という事で1回は火葬場で働く事になっているそうで、全然やらない職員の人もいるそうですが、大体の職員の人達は火葬場で働く事にになったいるとの事でした。

 

火葬場の職員の人数は全員で4人で「職員の人に当日のお柩は 総ヒノキで、厚みは1寸5分ですから」と話したら、「そんな立派なお柩は見た事もありませんし、火葬をした事もありません」と言うのです。

 

火葬時間も早くても2時間以上かかりますと言われたので、過去にこの火葬場で働いた事がある2~3人の職員の人に来て貰って手伝って貰う事で話がつきました。

 

帰りに写真屋さんに寄って火葬場のスナップ写真を現像してもらい、事務局長にに渡しました。この頃には外回りのテントもパイプ椅子もすべて配置について葬儀式場も出来上がっていたので、事務局長の了解を得て当社の本社に帰る事にしました。

 

「日野一家」の組員の人達に挨拶をしていたら部屋の中から「後5分で 稲川会の会長がお見えになります」と言う声が聞こえたので、外で待っていたのです。

 

そうしたらもの凄いスピードで先頭にベンツが2台とその後ろにプレジデント リムジンがついて、その後ろにベンツが2台ついて玄関の前にプレジデント リムジンがピタッと止まりました。

 

そして、稲川会の会長が降りてきて家の中に入ったら直ぐに5台の車が来た時と同じ様にもの凄いスピードで走り去りました。

 

そのまま見ていたら15分位したら同じ様にベンツを先頭に5台の車が玄関の前で止まったら、稲川会の会長が「日野一家」の組員の人達に見送られてプレジデント リムジンに乗って帰りました。

 

何回も練習をしたのでは無いかな? と思う位ピタッとプレジデント リムジンが玄関の前に止まった時に、何か映画を見ている様な気がしました。

 

会社に帰ったら神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいる「Y社員」がその時の状況を他の社員に身振り手振りで話してから、友達に電話をかけて話しているのが印象的でした。