「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまでは、ヤクザ団体の「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。

 

夕方4階の事務所にいる時に墓石会社の担当者から電話があり「今無事に終了しました」と報告があったのですが、何となく気分がすぐれない日でした。

 

実を言いますとこの日の事は一生忘れる事が出来ない後悔をする日になってしまったからです。

 

お互いに忙しくて西口親分となかなか会えなかったからです。私は暴対法が強化されたので余り西口親分に連絡を取りませんでしたし、西口親分の方も何かと忙しいと思っていたからです。

 

それに一般的には西口親分は「住吉会」を引退した事になっていたので、何かと大変だと思っていました。その様な状況の時に西口親分と久しぶりにゆっくりと雑談を話す機会を失ってしまったからです。

 

一ヶ月前から週刊誌のヤクザの事で取材の依頼があって、どうしても多磨霊園の方に行く事が出来なかったのです。

 

週間雑誌記者の人がどうしてもヤクザの葬儀の話を聞きたいと言うので、テープには録音をしないのと、メモにも書かないのと、私から聞いた話は文章にして週刊誌に掲載しないという約束でした。

 

ただ自分個人の知識として聞くだけという条件で、取材に応じる事にしていたのです。

 

記者の人が日葬祭典の本社に来たので、挨拶もそこそこにして3階にある今迄のヤクザの葬儀の記録が全部揃っている部屋に案内をして自由に見せてあげました。

 

そうしたら、記者が黙って住吉会のいろいろな記録を3時間位見てから「中村会長、どうもありがとうございました」と言って殆ど話をしないで帰ってしまったのです。

 

こんな事なら今日は多磨霊園に行けば良かったと思いました。

 

実を言いますと「住吉会」会長の西口親分の出身一家である、住吉連合会「向後一家」の初代組長のお墓がある多磨霊園の墓石屋が、急に廃業する事になったのです。

 

お盆、お彼岸には毎年「住吉会」向後一家の最高幹部の人達と組員がお墓参りに行き、帰りに休憩をする場所が無くなってしまったのです。 

 

それに、お墓の管理や掃除も頼んでいたので、何処か他の墓石屋さんを探さなければならなくなってしまったのです。

 

「向後睦会」の事務局長が霊園の前に並んでいる墓石屋さんを探しても、なかなか今迄の様な大規模の墓石屋さんが見つからなかったらしいのです。

 

理由はお墓参りに約50名位の組員の人達が15~20台の車に分譲して乗って行くので、駐車場もある程度広くなくては困るのです。

 

そしてお墓参りの帰りにその墓石屋さんの休憩所で全員が休憩するので、それも和室のある部屋がある墓石屋を探していたらしいのです。

 

ある日「向後睦会」の事務局長から電話があり、「中村さん、多磨霊園にある墓石屋さんを探して欲しいんだけど?」と、連絡がありましたので「わかりました」と言ってから、希望を聞いたのです。

 

そして、当社の取引先の墓石屋さんに問い合わせたら、「多磨霊園なら当社の営業所もありますし、50名様が座れる和室と30名様が座れるテーブル席もありますし、駐車場も広いので日葬祭典さんどうぞお使いください」と言う返事でした。

 

墓石屋の日葬祭典の担当者の人に、「一応確認の為に、多磨霊園営業所の責任者の方に確認をしてもらえますか?」と話したら「分かりました」と答えてくれました。

 

それから、30分位したら「向後さんのお墓参りの事は皆んなが知っていて、礼儀正しいのと必ず「住吉会」の会長が来るのでその墓石屋さんも楽しみにしていたそうですよ」と言ってくれました。

 

直ぐに「向後睦会」の事務局長に連絡をして「墓石屋さんの方は大丈夫ですから」と報告をしたら「中村さん良かった、西口親分にも伝えておくから」と言うので「出来るだけ早めに打ち合わせをしましょうよ」と言ったら「分かった」と言ったので連絡を待つ事にしました。

 

2~3日したら事務局長から電話があり、打ち合わせの時間と場所を言ってきました。

 

別に時間は気にならなかったのですが、場所が「向後睦会」の本部事務所だったので、一般の人は余りヤクザの事務所に行く事がないと思って自分の希望や意見が言えないと困るなと思いました。

 

その為に本部事務所ではなく総務部の事務所で私と墓石屋さんの担当者と事務局長の3人で打ち合わせをする事に決めました。

 

当日総務部の事務所に行ったら事務局長以外に最高幹部の人が5~6人いたので、結局本部事務所で打ち合わせをする事になりました。

 

「向後睦会」の事務所はマンションの5階のワンフロアが全部事務所なのです。その中に総務部の事務所、会議室、組員の人達の事務所、リビング、などに分かれていて、後は来客用の大きな本部事務所があるのです。

 

担当者の人に「ヤクザの事務所に入る事なんてあまり無いと思うので、経験だと思って気楽にして話したい事は遠慮なく話してね」と言って打ち合わせをしました。

 

結局は私と事務局長の2人で大体の事を決めたのですが、非常に話し合いは上手くいきました。

 

当日は多磨霊園には神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員を多磨霊園の墓石屋さんに行ってもらい、私は葬儀組合の会合に出席しなくてはならないのでと噓をついて行かなかったのです。

 

墓石屋の営業所の前で神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員と墓石屋の担当者がお墓参りを済ませた西口親分が乗っているロールスロイス リムジンが墓石屋さんの前に止まってそうです。

 

車から西口親分がロールスロイ スリムジンから降りて来たので、神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員と墓石屋の担当者の人が出迎えたそうです。

 

2人の顔を見るなり神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員に向かって、西口親分が「今日は中村は来ないのか?」と言ったらしいのです。

 

神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員が「ハイ、今日は葬儀組合の会合があるもので」と答えたら、「なんだ、久しぶりに中村と会えると思って楽しみにしていたのに」と言って墓石屋の担当者に向かって「今日はご苦労様」と声をかけてくれたそうです。

 

そしてそのまま休憩所の中に全員が入ったそうです。そして西口親分が帰るのでロールスロイスリムジンの周りに組員の人達が集まった時に、西口親分が神輿愛好会「櫻睦」でお神輿を担いでいるY社員を手招きをしたそうです。

 

そして「中村に、たまには「家」に遊びに来る様に言っておいてくれ」と言ってからロールスロイス リムジンに乗ったそうです。

 

墓石屋の担当者から夕方私に電話があり、「中村会長、社員の方から聞きましたか?」と言うので、「何を?」と聞いたら、「西口さんが、今日中村会長と会えるのを楽しみにしていたみたいで、中村会長が居なかったので残念そうな顔をしていました。

 

そしてY社員の方向かってに「中村に家に遊びに来る様」にと言っていましたが、Y社員の方は中村会長に何も言っていませんでしたか?」と言ったので、「言いたくないんじゃあないの」と答えておきました。

 

担当者が、「今迄、あのY社員の方が「住吉会」の話しを聞いていたので、もっとあのY社員の方は住吉会の人達に対して顔が売れているかと思ったのですが、誰も相手にしてくれていませんでしたよ」と言ったこました。

 

しょうがないので「今日のお墓参りは、打ち合わせの時に人数も少なくしたので最高幹部の人達だけだから、あの社員の事を知っている人達が居なかっただけで、若い組員の中にはあのY社員の事を知っている組員の人もいると思うよ」と言っておきました。

 

ただ、西口親分が私の居ない所で「今日は中村は居ないのか? 久しぶりだから会うのを楽しみにしていたのに」と墓石屋さんの担当者から言われた時に、この言葉は一生忘れる事が出来ない言葉だと思いました。

 

本当に悔やんでも悔み切れないのですが、この墓参りの直後に西口親分が亡くなってしまったのです。この時に西口親分と話をしなかった事を一生悔やんでいます。