「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、ヤクザの葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先の人見街道沿いに小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。

 

これで自宅と会社の通勤が車で出来る様になり、途中で会社の近くのファミリーレストランに寄って、ヤクザの葬儀だけではなくて、一般葬をやる為の戦略を考える事も出来るので、本格的に一般葬の営業活動を始めました。

 

4~5年で病院、寺院、老人ホームなど13ヶ所の指定葬儀社になりました。会社に着くとも私と2階に上がる入口のステンレス製の小さな看板に「日葬祭典株式会社」の会社名を見て、いずれ杉並区ではトップクラスの葬儀社になる事を目指して4階の事務所に行くのが日課になりました。

 

当社としてはここの病院は私がどうしても指定葬儀社になりたかった病院で、JR中央線「中野」駅前の中野サンプラザという建物の近くにありました。私にとってはJR中央線「中野」は学生時代の想い出がある街なので、時間はかかりましたが最終的に、日葬祭典がこの病院の指定葬儀社になる事が出来ました。

 

当社の本社に病院から葬儀の依頼の電話があり、私と中神の2人で病院に行きました。受付で挨拶を済まして霊安室でご家族がお見えになるのを待っていました。当時は何処の病院の霊安室は地下にあり、霊安室の部屋の中は明るくしていないのが殆どなのです。また病院によっては患者さんが亡くなると病室で死後の処置をしてすぐに霊安室に移す病院と、ご家族が病院に来る迄ベットに寝かせて置いていてご家族がお見えになってからご家族と一緒に霊安室に移す病院がありました。

 

それに昔は何処の病院でも家族の人が患者さんの側に夜中でも付き添っていても良かったのと、家族の代わりに患者さんに付き添って働いてくれている付き添い人の人が大勢いました。現在は完全看護の為に面会時間が終わったら誰も病室にいる事は出来なくなりましたが、それ以前は付き添い人の人が病院で患者さんのベッドとベッドの間の床に簡単なベッドで寝ていて、1人で7~8人の患者さんの面倒をみてくれていたのです。

 

付き添い人の人達の仕事は殆ど夜中は寝ないで患者さんの世話をしていたので、ハードな仕事なので付き添い人の人達は皆んな睡眠不足だったと思います。私と中神の2人で霊安室に入ったら部屋の中が暗かったのですが、蛍光灯の小さい電球がついていて少し明るかったので、安置台の方を見たら誰かが寝ていたのが見えたのです。

 

私と中神も亡くなった方が安置されていると思ったので、私と中神でお線香を上げさせてもらってベッドの前にあるパイプ椅子に2人で座ってご家族がお見えになるのを待っていました。2~30分位したら霊安室のドアーの外で声がしたので2人パイプ椅子からで立ち上がって皆さんを待っていたのです。

 

しばらくしてから看護師さんが亡くなった方をストレッチャーに乗せて霊安室のドアーを開けて入って来て、安置台で寝ている故人に向かって「起きて下さい」と言ったのです。私達が安置台で寝ていた故人だと思っていた人は患者さんに付き添っている人で、「この頃看病疲れなので、少しここで横になっていたら寝てしまったみたい」と独り事を言ってから立ち上がったのです。

 

私と「中神」は寝ている人が亡くなった患者さんだと思っていたので、本当に心臓が止まる位ビツクリしました。看護師さんの後ろからご家族の人が付いてきたのでご家族の方に挨拶をしたのですが、自分で何を言ったのか今でも覚えていません。このような経験は年をとったら絶対にしたくありませんし、本当に心臓が止まる位ビックリしました。

 

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