「日葬祭典 回想録」は「葬儀の話」「ヤクザの話」「神輿愛好会 櫻睦の話」「雑談」の4本柱で書き込みをしています。

 

杉並区立「松ノ木中学校」の前の店舗付き住宅を借りて「日葬祭典株式会社」の本社にしていたのですが、住吉会の葬儀をやる様になって資金的に余裕が出来たので、京王井の頭線「久我山」駅から三鷹方面方面に向かって「〒久我山郵便局」の前を通り過ぎて5~6軒先にある人見街道沿いにある小さな4階建てのビルを購入して「日葬祭典株式会社」の本社を移転しました。「暴対法」が強化されるまで、当社はヤクザ団体の、「住吉会」本部の指定葬儀社を30年近くやっていました。

 

ヤクザ団体の「住吉会」の3次団体の幹部の葬儀をお手伝いをする事になり、代々幡火葬場の葬儀式場でやる事になりました。

 

まだ代々幡火葬場も現在の立派な火葬場に建て替える前だったので、葬儀式場も平屋の一軒家で、和室に祭壇を飾ってその前に座布団を敷いて参列者の人に座ってもらって、葬儀を行なっている時代でした。

 

祭壇を飾り終わった頃に亡くなった幹部の母親が私の所に来て「葬儀屋さん、お世話になります」と丁寧に挨拶をしてくれたので少しめんくらいました。

 

他の組員の人達に対しても丁寧に挨拶をするので、本当に自分の息子さんが「可愛いくて、可愛いくて」しょうがなかったのだろうなという気持ちが伝わって来ましたし、本当に可哀想になりました。

 

それにどの組員の人達に対しても「息子を可愛いがってもらい、面倒をみて頂いて本当にありがとうございました」と1人1人にお礼を言っていたので、本当に子孝行なんだなと思っていました。

 

お通夜も終わり「今日は息子の側にいてあげたいので」と私に言うので、本来ヤクザの葬儀の場合は、葬儀式場の宿泊は禁止だったのですが、事務所長に無理を言って母親が泊まる事を了承してもらいました。

 

翌日の告別式の時も昨日と変わらず組員の人達に丁寧に接していました。3次団体の葬儀なので、一家の組長はお通夜には来ませんが告別式には出席するので、組長に会った時にも丁寧に挨拶をして感謝の気持ちを述べていました。

 

告別式もスムースに終了して、お柩を部屋の真ん中に安置をしてから組員の人達にお柩の周りに集まって頂き、お柩のフタを取って、顔のまわりを花で綺麗にお飾りをしました。

 

組員の人達が皆さんで合掌をしてお柩のフタを閉めようとしたら、突然母親が組長がいるの、に息子に向かって大声で、何故お前はヤクザなんかになったんだ、お前がヤクザになったお陰で、私達家族はどの位迷惑をしていたのかを考えた事があるのか、お前が家の権利書でお金を借りた時、私がどの位心配していたのかがわからないだろう、人をだましてお金を取ったり、借りたお金を返さないから私が払ったけど、私がどの位困ったかお前には分からないだろうなどと、大声で叫び出したのです。

 

組員の人達が啞然としていたので、私が「中神」にタオルと水を持って来てもらい、私が母親を抱きかかえて口の中に無理矢理水を飲ませて、何も話せない様にして、「中神」にタオルで口を拭いてもらうという動作を何回も繰り返しました。

 

そして「中神」にお柩のフタを閉めさせて、葬儀で1番最後の大切な儀式の釘打ちもしないで、お柩を霊柩車に乗せて出棺をしました。先に組長と組員の人達には火葬炉の前でお焼香をしてもらって、控室に私と母親が残っていました。

 

「中神」から「組長と組員の人達が火葬炉の前から直接帰りました」と言って来たので、私と母親の2人で火葬炉の前に行って、火葬が済む迄火葬炉の前で2人で立っていました。

 

火葬が済んでご遺骨を骨壺の中に納めてから、母親がご遺骨を抱いて、私が位牌と写真を持ってタクシーが来る迄火葬場の隅に黙って立っていました。

 

タクシーが来たので母親に乗ってもらってから、位牌と写真を渡して帰ってもらいましたが、一時はどうなるかのかと思う位、あぶら汗をかいた葬儀でした。

 

しかし今日のお母さんには本当にビックリしましたが、組員の人達の方がもっとビックリしたと思います。

 

 

 

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