宮城沖地震の思い出といえば・・・ | ほりたんのブログ

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東北地方の福島・宮城あたりで起きた地震といえば、宮城沖地震である。

宮城沖地震は去年、2021年、その前が東日本大震災の2011年、古いところでは1978年(昭和53年)6月12日の宮城沖地震である。

この前日から、大学時代の友人の結婚式で山形県は米沢市に来ていたのである。

当時はまだ東北新幹線はできておらず、上野から在来線の特急に揺られて、長丁場を移動して、土日の1泊2日の強行軍で結婚式に列席し、15時過ぎの上野行きの特急に乗ったのである。

17時過ぎに福島駅に着いた時、地震発生のアナウンスが流れており、ここで止まるかなと思っていたら、列車は発車してしまったが、少し先の「金谷川」というど田舎駅で列車は止まってしまい、同時に停電とあいなり、列車内の温度はぐんぐん上がり始めた。

前方車両に乗っていたので、ドアは開いており、ホームに出られたので外気に当たることができたので、当時はなかった「熱中症」になることもなく、日没までのんびりしていたが、この先どうなるかはわからなかったが、そのうち、車掌がやってきて「国鉄(当時はね)がバスを手配しているのでもう少しお待ちください」と言うので、一応帰れるな、とそんなには気にしていなかったが、これがなかなか来なくて、駅近くの空き地に来たバスに案内されたのは、夜の11時過ぎである。

帰りが明日の朝になるという連絡を駅の周りに1軒しかないよろずやの赤電話で自宅に入れておいたので、気分は旅行の続きである。

11時過ぎにバスに乗ってすぐに発車かと思ったら、お茶と弁当が配られた。

短気な乗客が早く出せというのを、「決まりなので、食事が済まないと出発できない」という話でみんなが渋々弁当を食べ始め、夜中の1時前になってやっと出発。

東北道を通って、朝の5時前に上野到着。

タクシー券をもらってタクシー乗り場に並び、自宅には6時前にやっと到着した。

着替えてすぐに家を出て、神奈川県藤沢市の勤務先に向かえば間に合うかもしれないが、さすがに疲れていたので、勤務先に電話を入れて、今日まで休むと言っておいたのだが、9時過ぎに電話が来て、入社1年目で、まじめに(?)飛び込み営業をしていた見込み客から「国債を買いたい」という電話が入ったので、すぐに出てこいと言われ、渋々実家を出て藤沢へ、というとんでもない旅日記になった。

今でも震源が宮城沖という地震のニュースに触れると、思い出すエピソードである。

長々と失礼しました。