赤穂浪士の日 | ほりたんのブログ

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今ごろ、東京の泉岳寺は線香の煙で充満してるはず、という赤穂浪士の47人が本所の吉良邸に討ち入って本懐をとげた日である。

勅使供応役という、時の将軍、徳川綱吉のお母さんの晴れの日に瞬間湯沸かし器の浅野の殿様が、吉良さんの意地悪爺ぶりにブチ切れて江戸城松の廊下で抜刀して切りつけちゃった事件だというが、本当のところはよくわからない。

意地悪しまくりの吉良さんも、地元じゃいい人だというし、世の中の作法を知らなかった浅野の殿様も結局、田舎もんだよね、というところだが、事件に怒った綱吉さんが浅野さん切腹、吉良さん無罪放免という「喧嘩両成敗」のルールに反した裁定が最終的にこの事件を生み出したことになる。

当事者と周囲の人間が法令順守してたらこの日はなかったわけで、こういう場合、つまらないミスが大きなエピソードを生むのである。

12月8日の第二次大戦の開戦になる真珠湾奇襲も宣戦布告の通知を思っていくのが遅れたという話もあるが、とにかく誰かが何かをやっちまったのがきっかけというのは面白い。

とにかく、喧嘩両成敗にこだわった大石さんにしても、京都で「お軽」ちゃんを孕ませちゃったりとか、今の時代ならただのスケベ親父といわれそうなおっさんだが、討ち入った時の現場責任者でもあるから、一応成功したので重くは取り扱われてはいない。

奥さんが「不倫だ」と騒いでいたらどうなったんだろう。

「男の甲斐性」じゃすまなさそうですが、「英雄、色を好む」でスルーされた感じがしないでもない。

最終的に「やられたら、やり返せ」と「不倫はダメよ」がテーマかな。

結局、全員切腹で話は終わったが、切腹という裁決を受けて、がっかりした人もいたかもね。

戦力外通告されたプロ野球選手のトライアウトみたいに、どこかの藩からお声がかかるかも、と期待した人もいたかもね。

高齢の浪士は満足して死ねただろうけど、若い人はそうもいかなかったかも。

筆おろしもしないで切腹は、やっぱりかわいそうだよね。

ま、それも人生、ってか?