死刑制度容認80% | ほりたんのブログ

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で、死刑制度を否定する意見は10%に満たないらしい。

内閣府がこうした基本的な法制度について調査をしているらしい。

被害者の気持ちか、加害者の人権か、と問われたら、優先すべきは被害者の感情だと思うのは、普通だと思う。

否定の意見として「国家が人を殺すのか」とか「冤罪だったら取り返しがつかない」などというものもあるにはあるが、「冤罪」の確率は非常に低いし、行政に見放されて孤独死した人は「国家が人を殺す」に該当しないのか?

どちらにしても、人の命を奪った者は自分の命で償鵜のが当然だろうと思う。

ただ、死刑囚を多く抱え過ぎてていると、お金もかかる。

死刑の執行は年に何人かくらいで決して多くないから、彼らを生かすための費用で生活困窮者を助けたらどうかと言われても、それは大変だ。

かかる費用が問題だというなら、彼らを檻に入れてひとところで展示したらいいではないか。

檻の横に名前と罪状を書いた札を立てて、見たい人に有料で見せたらいい。

日本人っていうのは、けっこう野次馬的な気質があるから、かなりの人が見に行くのではないか。

その拝観料、じゃない入場料収入が彼らの食費や光熱費になれば、国家が税金を使ってカネを出すこともなくなるし、ついでに死刑執行も公開でやったらいい。

絞首刑というのは、目ん玉が飛び出すは、糞尿が全部出るはで、決してきれいなものではないらしいから、そういうシーンを目の当たりにすることで、「あんなふうにはなりたくない」と思えば、多少は犯罪の抑止力になるかもしれないし。

死刑執行日が決まったら、観覧希望者を募ってその人数に合わせて箱を決める。

マイナーな犯人なら刑務所内の特設ステージ(?)、メジャーな犯人なら東京ドームとかを抑えて、スタンドとフィールドでは値段を違える。

プロレスでいう「特別リングサイド」だったら何万円かでも見たい人はいるだろうし、少年院に収容されているくそガキどもを特別リングサイドに座らせて目の前で見せてやるのもいい。

人が死ぬことの何たるかを理解させれば、

こういうふうに考えてみると、江戸時代にあった「市中引き回しの上打ち首獄門」や「磔」や「火あぶり」を刑場で公開で行ったシステムはすばらしいということになるのだが・・・。

いずれにしても、他人の人権を侵害した犯人の人権を認めようなどというのはたわごとに過ぎないと思うのだが。