2000年に入った頃、切れやすい若者(キレる17歳)というワードが流行したことがあった。あれから20年以上が経過したわけだが、最近は切れやすい中高年というワードに変化している。単純にその頃の世代が歳を取っただけではないのかと思うわけですが、以前「我慢が利かない」「我慢ができない」子供の話をしました。多様性という言葉の後ろで、我慢できないことを社会が寛容することは果たして正しいのでしょうか?
病気と診断されるような場合を除いて、あなたは間違っている、人に迷惑をかけているということを教えないで育てることは、日本社会がかつて美徳としていたものを徐々に崩壊させることにならないだろうか。学校に行かなくても良いという風潮は強くなる一方で、彼らが社会の中できちんとしたい場所や、働ける環境を整えただろうか。教育という業界に身を置くと学歴を重要視しがちですが、私個人としては社会で生き抜く術さえあれば、勉強など苦手でも構わないと常々思っていますし、生徒にもそう伝えています。しかし現実問題として、学校からドロップアウトした生徒を受け入れる環境が日本社会に整っているとはいい難い。ボーナスが出て、退職金がもらえる会社に入るには中卒では無理です。
最近頻繁にニュースになっているストーカー問題、SNS上での些細ないざこざで人を殺めてしまったり、イジメはネット環境を利用して陰湿化している状況は「想像力がない」「精神的に未熟」というだけで片づけてはならない大人側の責任です。バタフライ効果を煽るわけではないのですが、小さなころから反日教育を受けていれば日本嫌いになるし、甘やかされて育てば思い通りにならない時に簡単にキレてしまうのは想像に難くない。厳しすぎても甘やかしすぎてもダメだからこそ教育は難しいし、重要なのです。どんな先生に教わるかは人生において非常に重要なことではないでしょうか?