昭和の学校の話 | メガネ先生のブログ

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 我々昭和生まれの人間は、令和の時代には最近ドラマにもなっているように、「不適切なもの」が当たり前の時代を過ごしてきました。厳しい学校に通っていたら、先生に殴られたことがない生徒は男子ではほとんどいなかったように思います。ちなみに私は上履きのかかとに踏んだ跡があるという理由でビンタされたことがあります。忘れもしない中学1年の宿泊研修で、安藤先生というパンチパーマの先生です。毎週月曜日に服装検査が全校集会であったし、全校集会は全員直立不動で軍隊みたいでした。(ちなみに愛知県の公立中学校で時折集会中、女子が倒れたりしたし、スカートの丈とリボンの長さを定規で測られてました)中3の夏に横浜に引っ越してあまりの文化の違いにショックを受けました。(先生の話を誰も聞いていないし、みんな聞かないで話をしてる、英語の時間に先生の発音を誰も繰り返さないなど)

 愛知県は教育県として有名で、当時愛知県では中学校の偏差値順位が発表されていて、学年順位も全生徒の名前が順番で点数と共に貼り出されるような学校(確か県で9位)だったので、勉強が厳しいというより、そういう煽り方をする塾みたいな環境でした。(我々の代がいなくなった後、校内暴力の荒れ狂う学校になったそうですが)それが当たり前なんだからあまり疑問を持たないわけですが、ニュースで見かけると未だに昭和な考えの学校も少数存在するようです。盲目的に年長者のことを敬えといった儒教的な思想は敬遠されますし、尊敬できる人だけにそうした態度をとることは傲慢で不遜ととられるでしょう。

 古代ローマの時代から今の若いもんはという言葉があったそうですが、時代が変われば考え方も教育の仕方もブラッシュアップされるべきだと思う一方で、精神的に未熟な子供たちに問答無用で「いつかわかるから今からやっとけ」というような強引さがないと、あれこれやらない最新の言い訳を考えて、楽な方に流れてしまうのも事実ですよね。