主人が亡くなってから「笑う」ってこと、それがどうにも、心の底から、そして本気では出来なくなった。
それはそんな気持ちが無くなったというのか、主人も居ないのに笑いたくない、笑えないと言う、世の中が(主人がいなくなって)変わってしまったことへの怒り?も含んだような「抵抗の気持ち」だったのかも知れないと思う。
そしてそこから年月が経ち、
今は笑えることが嬉しい。
主人が居ないから笑いたくもないと思っていたところから、
なんだか普通っぽく?笑えてる自分が、それが元の、本来の自分、そこが戻って来たと思えるような気持ちが、よくわからないけど少しホッとする。
心の底から笑えてるのかはわからなくて、そこは微妙だけど、
でもそれっぽく笑えることが、少し平和な自分を感じるような気がする。
「笑うこと」は全てにおいて素晴らしい。
そう聞きました。
私も、そう思います。
元々があまりに冷めた自分で、私は主人がいた頃から笑えない、笑わないつまらない人間でした、本当に。
だから今さら…ではあるんだけど、可能ならば笑って生きたい。
主人がいた頃より「ちゃんと笑う」なんて、おかしい無い話かも知れないけど、
それでも私、笑いたい。
今生きてる日常の中で、冷めた私を笑わせてくれる人たち、そんな繋がりのある人たちって本当に大切で、ありがたい。
私、基本があまり、やっぱり大きく笑えないタイプだからさ…。
でも人の笑顔って、誰が見ても気持ちの良いものだもんね。
これを書くとまた、申し訳なさが堪らなくぶり返す想いだけど、主人は私に対して、もっと穏やかにいつも笑っていて欲しいって思ってたであろう事を知っているから、今となり悲しく思うところでもあります。
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